2017年10月19日

字体変遷字典 【女】媛婿嫁嫌嫉嫡嬉

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【媛】2020年度から教育漢字になる。

【婿】「婿」「壻」「聟」は異体字。説文には「士部」に「壻」が載っており、その或体として「婿」が載っている。

【嫉】説文に人偏の異体字がある。

【嫡】五経文字は干禄字書の旁の点の角度を説文篆文に倣って修正したのだろう。康煕字典と当用漢字表は旁の点の角度が異なる。



〈参考にしている主な字典〉



【嬉】説文にないので、篆書では「娭」を書く。
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2017年10月07日

『説文解字』の李陽冰による校訂は小徐本の底本か?

『説文解字』は後漢の許慎によって編まれた最古の部首別漢字字典である。
説文解字の校訂本として、ボクでも知っているものは、
◎南唐の徐鍇による『説文解字繋伝』=小徐本
◎北宋の徐鉉(徐鍇の兄)による『説文解字』=大徐本
◎清の段玉裁による『説文解字注』
の3つであった。

ところが唐の李陽冰が校訂しているということを近年知った。
李陽冰を知らなかったのは迂闊でした。

李陽冰の校訂本と小徐本との関係について、異なることを述べている本をメモがわりに取り上げておきたい。

◉『説文篆文入門 段玉裁の「説文解字注」を読むために』(頼惟勤監修、説文会編、大修館書店、1983年)
p.9–10
〈八世紀後半、粛宋、代宋時代に李陽冰という篆書の大家がいました。この人の校訂した説文のことが間接的に知られています。彼の校訂が内容的にどこまでのものであったか全面的にはわからないのですが、若干のところは徐鍇の『説文繋伝』の祛妄篇などに論及されてあるので想像できるのです。(中略)また篆書の字体については、これまでの懸針体を、彼は玉箸体に改めたのだそうです。ともかくも李陽冰校訂のところで説文の本来の姿が大分改変されたのだろうと言われております。〉
p.18
〈問 小徐の拠り所とした説文は李陽冰本なのですか?
 答 そういわれています。〉
p.19
〈小徐本ができてから少し遅れて北宋の雍煕三年(986)に、兄の徐鉉、つまり大徐が弟のそういう仕事を参考にしながら説文の校訂をしたわけです。これが大徐本です。これが段玉裁のいわゆる「雍煕校刊」(段注一上、二b、二左)で、底本は小徐本、遡ってやはり李陽冰本だったといえるでしょう。〉

まとめると
◆李陽冰がオリジナルの説文解字を大分改変した。
◆李陽冰は篆書を懸針体(針のようなエレメント)から玉箸体(末端が丸く線が太い)に改めた。
◆小徐本は李陽冰本を底本としている。
◆大徐本は小徐本を底本としているので、遡って李陽冰本を底本としている。
ということになります。

◉『漢字学 『説文解字』の世界』(阿辻哲次著、東海大学出版会、1985年)
p.221
〈この頃、李陽冰という人物がいた。かの大詩人李白の親類に当たり、李白の詩にも登場するが、かれは篆書の名手であったという。小篆の書体を考案したと伝えられる秦の李斯の直接の後継者は自分である、と豪語していた。その李陽冰が小篆の第一人者を自負して『説文解字』の小篆をすべて校訂したのである。李斯の後継者と自負する男だから、許慎など物の数ではなかったのであろう、その時李陽冰は自分の独断的な解釈によって『説文解字』の小篆体を書き改めてしまったという。これ以降『説文解字』は苦難の歴史をもつ。〉
〈徐鍇は唐代に李陽冰によって加えられた憶説を排除することに力をそそぎ、彼によって許慎以来の本来の姿がほぼ回復された。(中略)徐鍇こそは『説文』学を再興した人物として高く評価されるべきである。〉

この本は『説文篆文入門 段玉裁の「説文解字注」を読むために』の2年後に出版されていますから、当然『説文篆文入門……』を読んだ後に執筆したのでしょう。

まとめると
◆李陽冰が『説文解字』の小篆をすべて校訂した。
◆李陽冰は自分の独断的な解釈によって『説文解字』の小篆体を書き改めた。
◆徐鍇は李陽冰によって加えられた憶説を排除することに力をそそぎ、彼によって許慎以来の本来の姿がほぼ回復された。

【疑問】
◎李陽冰が書き改めたのは、小篆の書体や字体なのか、あるいはテキストの内容にも及ぶのか。
◎小徐本は李陽冰本を底本としているのか、李陽冰本の誤りを訂正してオリジナルに戻したのか。

 
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2017年10月03日

「葛」の字体について

先日(2017.9.30)桑沢デザイン研究所で行われた「佐藤敬之輔 再考 明日のタイポグラフィを考える」でのこと。
パネリストの葛西薫さんの「葛」はどの字体なんですか?という話題が出た。
つまり下部が「人+L(ひとかぎ)」なのか「ヒ」なのかという質問。
葛西さん曰く「どちらでもいいです」。
さすがに字体のなんたるかを知っている人だと敬服した。
葛西さんは子どもの頃、お母さんからは「メ+L(メかぎ)」だと教わっていたが、後に印刷物を見たら「人+L(ひとかぎ)」だった。それで手書きの「原戸籍(はらこせき)」を調べたら「ヒ」だったのだという。

「葛」は『説文解字』の親文字では、「縦組みの丸括弧の閉じ括弧を横に2つつなげたような形+L」になっている。
この「縦組みの丸括弧の閉じ括弧を横に2つつなげたような形」を手書きするときの解釈で「人」にもなれば「横線」にもなる。前者が「人+L(ひとかぎ)」で後者が「ヒ」である。
主に石に彫られていた篆書が手書きされるようになったときに「ヒ」になった。「ヒ」を使う「葛」は隷書や楷書などの手書きを元にできた書体の字体。「人+L(ひとかぎ)」は明朝体などの印刷する文字に採用されてきた字体である。

「当用漢字表・当用漢字字体表」は手書きの字体と印刷の字体を統合してきた。
「渇、掲、喝、褐、謁」は「当用漢字表・当用漢字字体表」および「常用漢字表」では手書きの字体が採用されたが、「葛」は当用漢字でも常用漢字でもないので明朝体の字体は「人+L」のまま手つかずだった。
だが、1983年のJISの改訂で「葛」の字体が「ヒ」に変更されてしまった。2004年のJISの改訂で再び「人+L」に戻された。

下に拙著『文字の骨組み』の「葛」の字体について説明したページの画像を貼っておきます。

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2017年08月14日

字体変遷字典:【女】娼婆婦婁媒

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※【婁】の漢字整理案は別字でしたので削除します(2017/8/7削除)


【婦】旁の上部の「ヨ」の真ん中の横線は古代は右に出ない。

【婁】五経文字と康煕字典の字体が異なる。説文篆文と比べてみると康煕字典の字体の方が近いと思う。ほとんどの漢字は手書きでは伸ばす線は1字に1箇所に整理されるが、この字はまだ決まっていないらしい。私見では「女」の横線だけを伸ばすのがよいと思う。漢字整理案では「米」の右払いを払っている。(2017/8/7削除)
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2017年08月06日

字体変遷字典:【女】姪娯娠娘娩婚

「娩」が2004JISで女の8画から7画に変更になったので、「娘」の後に入れました。
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【娯】漱石が不思議な字体を書いている。偏は何を書いているのだろう。行人偏か言偏か。

【娘】『教育上より見たる明治の漢字』に「嬢」の許用字として「娘」が載っている。現代中国では「娘」と「嬢」が「娘」に統合されている。「娘」は甲骨にあるが説文にない。「嬢」は説文にあるが古代の字に見えない。漱石は略しすぎ。太宰の「孃」は「口」が二つ繋がっている。

【娩】JIS2004で字体が変更された。現在は康煕字典と同じ「娩」で女の7画だ、が変更前は「娩」で女の8画。人名用漢字は「娩」であって「娩」ではない。偏を「子」とする異体字がある。
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2017年08月04日

字体変遷字典:【女】姪娯娠娘婚娼婆

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【娯】漱石が不思議な字体を書いている。偏は何を書いているのだろう。行人偏か言偏か。

【娘】『教育上より見たる明治の漢字』に「嬢」の許用字として「娘」が載っている。現代中国では「娘」と「嬢」が「娘」に統合されている。「娘」は甲骨にあるが説文にない。「嬢」は説文にあるが古代の字に見えない。漱石は略しすぎ。太宰の「孃」は「口」が二つ繋がっている。
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2017年07月11日

紙型はいつ縮むの?

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紙型

金属活字を使って本を印刷するときは、活字を組んだ版を厚紙にプレスして型を作ります。
これを紙型(しけい)といいます。
この紙型に鉛を流し込んで版をつくり、その版にインキをつけて印刷します。

売れる本は何度も印刷するのですが、初刷りと17刷りを比べると後者はサイズがかなり小さくなっています。
http://tonan.seesaa.net/article/397491267.html?1499748332

ボクは、最初に作った紙型を何度も使うものだとおもっていました。
ところが、最近聞いた話では、紙型は何度も作るらしいのです。
最初に組んだ組版で紙型を作りその紙型に鉛を流し込んで版を作る。
一度使った紙型は再利用できないので、紙型から作った版から新しい紙型を作る。
そういうことらしいのです。

そうだとしたら、紙型はいつ縮むのでしょうか?
紙型に鉛を流したときか、紙型を保存している間か。

実際に紙型を作っていた方、教えてください。

【追記】2017.07.13
東亰わかめ‏ @10ti3pinさんからの情報
紙型ではなく、ナマリが凝固するときにちぢむときいたことがありますが…


山本太郎さんからの情報
ステロタイプや新聞印刷についての知識は皆無ですが、下記の文献によれば、高温で溶解した金属の温度が低下する際に収縮が起こるので、出来る限り低温で鋳造する必要があると書いてありますね。
https://books.google.co.jp/books?id=ovo8AAAAYAAJ&pg=PA64...


小畠正彌さんからの情報
私は紙型が乾燥するときに縮むと教えられました。


狩野宏樹‏ @KAN0Uさんからの情報
戦前の新聞の紙型について http://www.conpt.jp/bulletin/231.pdf … のp.17に記述があります。型を取る時に紙型用紙を湿らせるので、組版から外して乾燥させる方式の場合、3%近く縮んだそうです。


〈まとめ〉
1)鉛が凝固するときに縮む。
2)紙型には湿式と乾式があり、乾燥するときに縮む。湿式の方がより縮む(3%程度)。
3)鉛が冷めるときに縮む。対処法として、なるべく低い温度で溶かす。

金属活字の鋳造時、鉛は凝固するときに体積が減るので、凝固するときに体積が増える物質(アンチモン)を加えて調節する。それを敷衍すれば、紙型から鉛版を作る際も鉛にアンチモンを加えているとおもわれる。その加減によっては鉛の凝固時も鉛版が縮むだろう。

紙型鉛版を使った印刷では、初版初刷りでも縮小されている可能性がある。

【追記2】2017.07.13

森卓司さんからの情報
新聞の紙型については『新聞整理の研究』(1966年、日本新聞協会)p. 5に、
「扁平活字が最初に現われたのが、昭和十六年。第二次世界大戦はすでに、はじまっていた。用紙は次第に窮屈になったが……ニュースを詰め込むためには、活字は小さくするしかない。……戦争はますますきびしく、用紙はいよいよ窮屈になった。……終戦後はついに用紙不足のため、二十三年、十五字詰め十七段制から、とうとう、二十四年、十五字詰め十八段制となった。これは十七段制の活字で、十八段に組み、中段も半カクや七分五厘に縮め、そのうえ、湿気を含んだ紙型を使い、その乾燥段階で一挙に一段分を圧縮するという非常手段さえとられた。……」
とあります。これだと3%どころではないのではないかと思いますが、ほんとうに非常手段ですね。


誌面を圧縮するためにわざわざ湿式紙型を縮小させたとは! 荒技ですね。

【追記3】2017.07.14
狩野宏樹‏ @KAN0U さんからの情報
別の資料https://www.jstage.jst.go.jp/article/nig1987/38/5/38_5_309/_pdf …では「『紙型』から『鉛版』を鋳造する過程で溶けた鉛の熱で『紙型』が乾燥して(焦げて)収縮する.その収縮率は,天地方向で約3%(15mm)左右方向で1.5%(5mm)程度であった.さらに『鉛版』が冷える時にわずかではあるが収縮…

乾式紙型でも使う時には必ず湿らせるようです。長谷川勝三郎『紙型用紙並に新聞用紙に就いて』)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1947/4/5/4_5_23/_pdf … では「或いは嚴密に言えばセミドライマットとでも云うべきものでありましょう。」とツッコミを入れています。

「一つの組版を數十回も紙型にとる事がある」新聞社に限った事ではないようで、例えば山岡謹七『改訂造本と印刷』でも「ドライマットとゆう紙型どり專用の特殊な厚紙に多少の水氣をあたえて,これを組版の上にのせ,油圧機の中に入れて圧搾し,同時に加熱(攝氏150°〜180°)させて紙型にとる」

(中略)「この方法すなはち圧搾法によると,程度の差こそあれ多少の活字のいたみはまぬがれないので,それらの活字はとうてい再度のおつとめはできないのである。」また、図のキャプションによると「こうしてとった1枚のドライマットから,5版か10版の鉛版を鑄造することができる。」とのこと。


〈まとめ〉
1)鉛が凝固するときに縮む。
2)紙型には湿式と乾式があり、乾燥するときに縮む。湿式の方がより縮む(3%程度)。
3)鉛が冷めるときに縮む。対処法として、なるべく低い温度で溶かす。
4)鉛の熱で『紙型』が乾燥して(焦げて)収縮する。
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2017年07月10日

字体変遷字典 【女】姻姥姦姿姫

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【姻】文部省活字では旁の「因」の中の「大」の右払いを払っているが、四角で囲まれた空間の中では止めるべきだとおもう。康煕字典に倣ったのだろうか。当用漢字表や当用漢字字体表は止めている。「因」の中の「大」は開脚して「土」になり頭をすくめて「工」になり右側が省略されて「コ」になる。

【姦】「姦」「姧」「奸」が異体字なのか異なる字種なのか難しいところだ。殷代には「姦」と「奸」があり、説文にも「姦」と「奸」が別に掲載されていて「姧」は見えない。「姧」が出現するのは南北朝期のようだが、二玄社『新書源』では敬史君碑の「姧」は「奸」の異体字として掲載されている。五経文字には「姦」の〈訛〉つまり俗字として「姧」が載っており、「奸」は別に載っている。平安から江戸時代には「姦」の意味で「姧」を使っている。康煕字典には「姦」「姧」「奸」が別々に載っている。現代中国では「奸」を使う。
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2017年06月26日

築地活版所の7.5ポイントかなあ?

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新潮社の小駒さんから奨められた本。
『校正の研究』編集者:大阪毎日新聞社校正部 印刷社:明治印刷株式会社 発行所:大阪毎日新聞社/東京日日新聞社 発売所:春陽堂(昭和4年11月発行)。
内容を奨められて買ったのだが、活字がめずらしい。
初刷りを買ったので活字サイズが縮んでいないはず。
測ってみるとぴったり7.5ポイントでありました。
posted by トナン at 15:25| Comment(5) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

字体変遷字典 【女】姓妬妹娃姶威


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【妬】説文篆文は「女+戸」。睡虎地秦簡や馬王堆は「女+石」。干禄字書では「妬」が正字体で「妒」が通字体。五経文字も「妬」をとり「妒者非」としている。康煕字典には「妬」と「妒」の両方があり同字。陸軍幼年学校用字便覧も「妬」と「妒」を同字としている。説文篆文の字体が誤っているのかもしれない。馬王堆1は「石」と「女」が上下の位置関係になった移構の文字。
posted by トナン at 16:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする