
jitai006-007.pdf
【意】説文、正字、康煕字典では、一画目が点ではなく横線になっている。
【慰】康煕字典に「尸+二+火+又+心」の字体が先に載っていて、「慰」を同字としている。「尉」とは扱いが違い不統一である。「慰」の元の字とされる「尉」は、説文よりも古い戦国古璽も睡虎地秦簡も右側は「又(手)」ではなく「寸」である。「寸」は「手(又)」に「一」を加え、脈をはかる位置を示す、というのが字源解釈のほぼ一致した解釈であるが、「尉」が古くから「寸」を含む字であることからすると、「寸」の字源解釈が疑わしくおもえてくる。
【易】「日」の最終画を省略する字体、「日」の最終画を横に伸ばす字体、「日+勿」の字体、「日」の下に横線を加える字体の四つがある。このうち「日」の最終画を省略する字体が書き文字としての最も伝統的な字体。「日+勿」の字体が正字から康煕字典、当用漢字、常用漢字につながる字体である。
字源解釈では、説文解字は「蜥蜴の形」とし、白川静は「玉から光が降り注ぐ形」としている。甲骨文、金文の字形をみてもどちらにもおもえない。ところで白川静の『字統』『字通』『常用字解』のいずれにも甲骨文、金文の字形がなぜか掲載されていない。白川が自説を有利にするために都合の悪い例を除いたとはおもえないので、これらの字形を別字と判断したのだろうか。
【為】常用漢字の字体は、4世紀ごろには既に使われていて、書き文字としては一般的な字体。康煕字典と当用漢字字体表では「為」の字体を「爪」の部首に分類してあるが、「爪」を略した字体を「爪」で引くのはむずかしい。現在の漢和辞典の多くは、「火」の部首にある。
【異】殷から戦国の字形がどうして説文の字体になるのか理解できない。楷書で「共」の上部が四画になっているのに、九経字様で「田+共」と、伝統的な字体よりも正字の方が簡略化されているという珍しい例。康煕字典では「共」の上部が四画になっている。江戸の字体は「己+大」と認識されていたらしい。
【維】「隹」の伝統的な書き順は、左払いの後に右の点を書き「ク」のようになり、現在の書き順とは違う。「糸」の下部は「小」でも点三つでもよく、正字でもそれに近くなっている。
【緯】説文解字の字体を楷書や明朝体にした場合、旁の三画目は右に出ず、一番下の横線は左にはみださず、文部省活字の字体になるはず。「糸」の下部は「小」でも点三つでもよく、正字でもそれに近くなっている。
【胃】説文の字体では上部は「田」ではないのだが、さすがの康煕字典も「田」にしている。




