
説文解字の字体を楷書にしたら「正字試案」のようになるはずなのだが、これでは楷書の体をなさないので、「八」のような部分を横線にするしかなかったのだろう。
字を作ってしまうとは皇帝の力は凄いものだ。
このような字を書かなければ不合格になってしまう科挙の受験生も大変だったんだろう。
木偏をはねて×をつけられる日本の生徒諸君も同じようなものか。
康煕字典では旁の「由」の真ん中の縦線が「廿」の下まで突き抜けていない。
正字にくらべて筆記字体のなんとおおらかなことか。木偏が手偏になったり、カタカナの「オ」のようになったり、旁の上部を3画で書いたり4画で書いたり、「田」にしたり「由」にしたり。
唐代の正字を定める元になった『顔氏字様』の著者である顔師古でさえ正字を書いていない。

『康煕字典』同文書局原版
もっとも普及した康煕字典だろう。欄外に篆書が書いてある。

『康煕字典』初版
欄外に篆書がない。
もともとの康煕字典の親字は、篆書の字体を明朝体で説明するためのものでしかなかったのではないだろうか。
筆記を強要するものではなかったと思う。

『康煕字典』初版 序文
親字の字体の筆記を強要するものでなかったのは、康煕帝御製の序文に相当数の伝統的筆記字体が使われていることでもわかる。
posted by トナン at 16:36| 埼玉

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