小次郎が背に刀を背負うときに、左腰から右肩に背負うのはおかしい。
これだと一生刀が抜けない。
右腰から左肩に背負うのが正しい。
弓の筒も左肩に背負うのが正しい。
2006年01月15日
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また、佐々木小次郎が右左どちらが利き手か知りません。
単純に氏の一文から左利きなのではないでしょうかね
弓筒は単なる筒だから刀とは違い手の長さしか抜けないってことはない。
どっちに背負ってもいいのでは? やりやすい方が正しいのでは?
戦争(合戦)という極限状態で伝統を重んじて死にたくないですね
また子どもの頃、長刀を右肩側に背負い刀が抜けず、鞘を投げ捨てるというシーンがあります。
『宮本武蔵科学読本』主婦と生活社では、小次郎の刀は刃渡り約94センチメートルなので、少なくとも腕の長さが94センチメートル以上、それから計算すると身長は219センチメートル以上、という記述があります。(^^;
もし小次郎が左利きであったとしてもそれを隠した方が実践においては有利です。
宮本武蔵は左利きであるという説があります。
武蔵が画いた絵を分析すると左手で画いたと思われるタッチがあるというのです。
武蔵の二刀流は右利きに見せかけておいて実は利き腕に持った脇差しで仕留めるという戦術だというのです。
弓筒と書きましたが、矢を入れる筒です。
矢はかなり長いです。
右肩に背負って右手で抜いたとしても、かなり身体を伸ばす無防備な体勢になり、敵の矢に当たるということにもなりかねません。
「平治物語絵巻」などを見ても弓矢隊はみんな左肩側に筒を背負っています。
これからの「バガボンド」では、若い小次郎が長刀を右肩側に背負い刀が抜けないのを、だれかが左肩側に背負うことを教えてやる、という設定にすれば無理なく改められるとおもいます。
そのバカボンドとやらで刀を抜くシーンはどのように書かれているか知りたいですね 子供じみた疑問ですが、そんな長い鞘を背負ったまま戦うのでしょうか? 動き辛くて負けたのか・・・・・・。
弓筒改め矢筒ですが「平治物語絵巻」をネットで検索し見てみました。小さくて見え辛かったのですが、あれは箙ではないかと思われます。
箙は後ろ手で一旦持ち上げ筐の部分から外し、それから下に引き抜くはずですので身体を伸ばすということはないかと思われます。右に背負うと確かに抜き辛いかとは思われますが、どちらに背負っても抜くのは可能でしょう。
矢筒ならなおさらどちらでも可能ではないでしょうか というか矢筒は箙とは逆に左に背負うと辛いのでは? 鞘は刀より長い。矢筒は矢より短いわけすから
左利きを隠していなかったとは驚きです。
こんどちゃんと読んでみます。
ところで「五輪の書」を書き始めたのは晩年ですよね。
いま調べてみたところ、60歳で書き始めて62歳で書き終わりその2ヶ月後に亡くなっています。
秘密にしていたことを死を間近にして公表したということではないのでしょうか。
刀は腰に刺すものでしょ
「平清盛」で、矢筒を右腰から左の肩に背負っていました。