2009年06月08日
『漢字整理案』「許容体案」10頁 文部省普通学務局 大正8年7月
「淡」や「淵」の許容体案は嫌な略し方。
「淡」や「炎」では右払いが2回あるが、上の「火」を払わずに止めて右払いを1回にするのが手書きの真っ当な書き方。
「游」の許容体案は「方」が「てへん」の形になっているが、これはあくまで「方」を「オ」の形に書いたのが「てへん」のような形になったものであって、「てへん」を書くつもりで書くべきではない。
「潟」「焰」は「臼」を「旧」の形に書いている。「旧」は「臼」をくずした形である。
「渋」は同じ形が3つあるときの略し方。
「澤」を「沢」とするのは「釋」の旁を「釋」と同じ音の「尺」で仮借してできた「釈」にならったもの。
「燈」と「灯」は元々は違う字種だが古来より通用している。常用漢字表で採用された。
「営」の許容体案の「呂」は「ノ」でつながっていなくて「口」が2つだけ。
「炉」は「虎がしら」をくずした形が「戸」に似ているためにできた略字。
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「くずした」ではなく、楷書のもっと書きやすい別のかたち、と私は思います。
コメントありがとうございます。
「臼」をくずして「旧」になった過程を示しました。
http://tonan.seesaa.net/article/121154438.html
「旧」のようなかたちに「きちんとしっかり」書いているものが多くみられます。
私が言いたいのは、
楷書初期の時代からあるものを、途中から(?)「くずした」というのは、おかしいのではないか、
ということです。
江守賢治さんのいう「系統」のちがいではないか、と私は思います。
ご指摘理解しました。
私見ですが、これは系統の違いではなく、ボクが示したようなくずしが楷書成立以前にも行われたのだとおもいます。
甲骨文から隷書まで見ても「旧」になるような字体が見あたりません。
「學」の通用体は「臼」(字源は臼ではないが)が「旧」になる途中の形とおもわれます。