2009年06月14日

『漢字整理案』「許容体案」14頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「処」は「處」の略字ではない。金文の時代からある異体字である。『説文解字』にも両方の字体が載っている。
隷書の時代には石碑にはほとんど「處」が書かれ、「処」はわずかに馬王堆帛書に手書きで残っている。
日本での「処」の使用例は、江戸時代の『大日本永代節用無尽蔵』に1例載っているだけで、「HNG(漢字字体規範データベース)」には1例もない。

「号」は「悲しんで激しく泣く」ことで、のちにこれに「虎」を加えて「大声で叫ぶ」意味をあらわす。つまり「号」と「號」は意味がたいへん良く似た別の字だったが、楷書の時代には既に混用され現在に至っている。

「蚕」は日本でできた字とおもわれる。10世紀には上部が「天天」と天を2つ書いた字体が現れる。江戸時代には「蚕」の字体が頻繁に使われるようになる。
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