2009年07月08日

「可読性」は定義できない

「可読性」という言葉をしばしば目にする。「可読性が良いフォント」「可読性が良い組版」「こんなことをすると可読性が低下する」……。可読性の善し悪しは誰が決めるのか。どのように実験するのか。
「可読性が良い」というからには、何パーセントの人が読みやすいと感じた、とかどのくらい速く読めた、とか実験したのかといえばそんな形跡はない。そもそも可読性を明確に定義した説明を目にしたことはない。「可読性が良いということは読みやすいということだ」という説明では可読性を定義したことにはならない。
「読みやすい」ということはどういうことなのか。読者が読む前に読みやすそうだと感じることなのか、読んだ後に読みやすかったと感じることなのか、文章の内容を理解しやすかったということなのか、速く読めることなのか、読み間違えが少ないことなのか。まったく判然としない。
そのそも30年以上も前に、書体研究グループ「月曜会」(1974年結成)は、「可読性は定義できない」としてやむをえず「一定時間に何文字読めるか」という「速読性」の実験をしている。
posted by トナン at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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