2010年02月21日

新聞の活字は天地を縮めたのではない

新聞の活字は,戦時中に紙などの物資が足りなくなり,限られた紙面にたくさんの文字を詰め込むために天地を縮めたのだと思っていたが,実際はそうではなく左右を広げたものだった

昭和16年(1941)12月5日の朝日新聞夕刊に次のような社告が出ている。

shimbun1.jpg

    明日より新活字を使用

本社は國民視力保健の立場から昨年来記事面活字の改良につき鋭意研究中のところ、今回新活字の完成を見ましたので、明朝刊紙上よりこれを使用することになりました、新活字はこの社告に見らるる通り従来より大きく読みやすくなりますが、字数は従前通り一段十五字詰、記事収容量に増減のないことは本社の苦心の存するところであります
    十二月四日  朝日新聞社


段落行頭の字下げはなく,現在なら句点を使うところでも読点を使い,文末にも句点はない。新活字になってもルビを使っている。
新聞からルビが消えたのは昭和21年(1946)年11月15日に告示された「当用漢字表」の前書きに《振り仮名は、原則として使わない》と書いてあったからだ。同年11月中には新聞からほとんどのルビが消える。漢字制限と振り仮名の不使用は一体の施策だった。

《國民視力保健の立場から》といっているが,国民の視力を悪化させないようにするのは,兵士が目が悪いと困るからだろう。飛行機に乗るにしても軍艦にに乗るにしても視力が悪いと困る。銃を撃っても命中率が下がるから。

《明朝刊紙上よりこれを使用することになりました》とあり,社告の日付は12月4日だが,この社告が掲載されたのは12月5日の夕刊で,12月4日に掲載するはずの社告が1日後に掲載されている。この日の朝刊では既に新活字が使われている。たぶん12月5日の朝刊から新活字にする予定で,12月4日の日付で社告を作ったが,12月4日の時点で翌日の朝刊は間に合うが,夕刊は新活字で組むことができないことがわかり,社告の掲載を1日遅らせたのだろう。

《新活字はこの社告に見らるる通り従来より大きく読みやすくなりますが、字数は従前通り一段十五字詰め、記事収容量に増減のないこと》とあり,活字の天地を縮めたのではなく,活字の左右を広げたことがわかる。

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昭和16年(1941)12月5日の朝刊。新活字が使われている。

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昭和16年(1941)12月5日の夕刊。新活字は使われていない。

新聞の扁平活字のルーツが天地を縮めたものではなく,左右を広げたものならば,デジタルフォントの新聞フォントも天地を80%にするのではなく,左右を125%にして使うのが本来の使い方だろう。
posted by トナン at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
新聞の活字について興味を持っています。
戦前の夕刊の日付は現在とは違い、翌日の日付で発行されていました。
したがって社告は12月4日に発行されています。
それを考慮すると、混乱?はなかったのではないでしょうか。
なお、朝日の夕刊の日付を当日に変更したのは昭和26年10月1日だそうです(朝日新聞社史)。
Posted by 立花 敏明 at 2014年06月24日 12:03
立花さま。
戦前の夕刊は日付が翌日だとは知りませんでした。
ご指摘ありがとうございました。
Posted by ( ´_ゝ`) 大熊肇 at 2014年06月24日 15:53
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