2010年03月26日

高岡重蔵さんに聞く「今井直一『書物と活字』」

先日(2010年3月19日),嘉瑞工房で高岡重蔵さんのお話を聞きました。
きっかけは拙著『文字の組み方』の参考資料に書いた次のような説明です。

今井直一『書物と活字』印刷学会出版部,1949
今読んでも得るものはたくさんある。図書館にあるかも。なお,府川充男『聚珍録』(三省堂)に
《『書物と活字』の内容は殆どルシアン・A・ルゴス Legos, Lucian Alphonse とジョン・C・グラント Grant, John Cameron の共著『Typographical Printing-Surfaces. / The Technology and Mechanism of Their Production』(〔英〕ロングマンス・グリーン商会 Longmans, Green, and Co.、1916年)の丸写しに等しいという。この点、片塩二朗氏の御教示による》
とある。


今井直一『書物と活字』はボクが20代の頃読んで,感激して全ページをコピーして手製本して保存してある本だ。拙著でも参考にしている。
ところがこの本には参考資料が掲載されていない(この本が出版されたのは昭和24年なのだが,その頃は参考資料を巻末に書き出す習慣がなかったらしい)。そのため,どんな本を参考にしたのかわからなかった。
拙著での説明も元は〈今読んでも得るものはたくさんある。図書館にあるかも。〉だけだった。ところが校了間際に,府川充男『聚珍録』(三省堂)の註四〇〇八に上記の記述を発見したので,『Typographical Printing-Surfaces. / The Technology and Mechanism of Their Production』が『書物と活字』の参考資料のひとつかもしれないという資料として引用した。

拙著の執筆にあたり,特に「欧文の本文組み」の章で色々とご教示をいただき,御著書の『欧文書体』(美術出版社)からも引用させていただいている小林章さんに拙著をお送りしたところ,上記の引用についてご指摘をいただいた。

〈小林章氏からのご指摘〉

1)著者のスペルは「Legos」ではなく「Legros」が正しい。
(これは引用時の誤りではなく,引用元の誤り)

2)「丸写し」というのは適切ではないのではないか。
(これは小林さんが1989年にロンドンの印刷博物館でレグロとグラントの原著を読んで、その後日本で今井氏の『書物と活字』を読んだ感想)

3)かつて嘉瑞工房の高岡重蔵氏が片塩二朗氏に今井直一『書物と活字』について話したことがあると聞いているが,どこかで誤解が生じたのではないか。


拙著を嘉瑞工房にお送りしたところ,高岡重蔵さんの息子さんの高岡昌生さんから,父が真実をお話したいと言っている,と連絡をいただき,お話を聞くことになった。

〈高岡重蔵さんのお話の要約〉

◆アメリカATF社製のオリジナルのベントン彫刻機は,日本には3台しかなかった。1台は大蔵省印刷局にあったが,官庁の為に、どういう使われ方をしていたのか一般には伝わらなかった。
2台目は築地活版製造所が持っていたが、倒産したために、このベントンは後にオークションで凸版印刷に渡ったといわれている。3台目のベントンは三省堂が持っていた。これが津上製作所による国産化したベントン式彫刻機の元になった。

◆今井直一はベントン彫刻機の発明者リン・ベントン(Linn Boyd Benton)から直接使用法を教わったただ一人の日本人なので,ベントン彫刻機の使い方の解説書の執筆者は今井直一以外には考えられなかった。

◆今井直一『書物と活字』はベントン氏から直接操作を教えてもらった知識に、『Typographical Printing-Surfaces―』の一部をあわせて日本人にわかりやすく書かれたものと考えてもいいだろう。

◆ベントンの使い方を解説するといっても,彫刻機そのものの使い方だけを解説しても役にたたない。彫刻に使うパターンの作り方も,パターンを作るための版下の書き方も書かなければならない。どう文字を設計したら良いかも書かなければならない。そのようなわけで,ああいう内容の本になった。

◆片塩二朗氏に上記の話とともに,『書物と活字』が『Typographical Printing-Surfaces. / The Technology and Mechanism of Their Production』を参考にしている,という意味のことを話したことがあるが,「丸写し」とは言っていない。数ある参考文献の中の一つである。

◆当時,レグロとグラントの『Typographical Printing-Surfaces―』は印刷業界では有名な本で,著者が来日したこともある。そのように有名な本であるから,丸写しなどをすればすぐにわかる。

◆『書物と活字』の中で『Typographical Printing-Surfaces―』を参考にしているところは「第四章 欧文の書体」だが,大部の本の内容を理解した上で必要なところだけを抽出し,かみ砕いて解説し,さらに必要なものを加えている。たとえば128ページの「第三十九図 ボッツフォード・ブック」などは『Typographical Printing-Surfaces―』に掲載されているものではなく,今井直一氏が解説のために加えたものである。

◆『書物と活字』が出版された時,私(高岡重蔵)は今井直一氏本人から一冊いただき,その際,「あなた(高岡重蔵)はよく勉強しているから、この本を読んですぐ分かるでしょう!」という言葉をいただいた。これは「ネタ本を秘密にしてね」という意味ではなく,「お褒めの言葉」と理解している。
誤解が通説として流布されることを危惧している。


      
posted by トナン at 14:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど。事実は,高岡重藏さんのおっしゃる通りであったのでしょう。
慥かに拙著の記述には「リテラシー」が不足しておりました。情報の「出典」は明示いたしましたが,「あてにならない情報」は無視するにしくはないと存じます。
Posted by 府川充男 at 2010年04月08日 18:00
なお小林章さんの御教示にも深く感謝申上げます。「レグロス」とすべきだったのですね。
Posted by 府川充男 at 2010年04月12日 20:51
http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/Bmotogi.html
に次の記述があります。

(ここから)

島屋政一著『朗文堂愛着版 本木昌造伝』(朗文堂刊)

【編集子あとがき】

(略)
『書物と活字』の評価はいまなおきわめてたかいものがあります。また今井直一
は昭和26年(1951)三省堂社長に就任したばかりではなくて、文部省国語 審議
会委員、日本印刷学会会長をつとめるなど印刷研究家としての名をのこしたひと
です。
 ところがその主著『書物と活字』は機械式活字父型(母型)彫刻機(ベント
ン)の紹介をふくめて大半を『Typographical Printing-Surfaces』(Lucien
Alphonse Legros, John Cameron Grant  Longmans Green and Co. 1916)に
よったことはあきらかです。
 もちろんわが国の近代印刷術そのものがほとんど欧米からの移入型技術であ
り、島屋政一にしろ今井直一にしろその著述が翻訳型にならざるをえない側面が
あったとみられます。またこうした出版でも当時の風潮としてはとりたてて疑問
視するようなことではなかったのでしょう。
(略)
平成12年 首 夏 東京にて 編集子しるす

(ここまで)

編集子というのは朗文堂の片塩二郎氏のことでしょう。
これが書かれたのは拙著が転載した『聚珍録』が出版された2005年のさらに5年
前の2000年。出版されたのは2001年だと思われます。
Posted by 大熊肇 at 2010年04月15日 23:07
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