例えば、「万」と「萬」は元々は違う字ですが、異体字として使われています。漱石は手書きの原稿では「万」を書いたり「萬」を書いたりしていますが、印刷されたものは「萬」に統一されています。
多くの漢和字典では「万」と「萬」を同じ項目で説明しています。一方、多くの書体字典(書道字典)では、「万」と「萬」を別々に載せています。
字体の変遷としてはどの方法で掲載したらよいか、迷っています。
「万」と「萬」を一緒に載せた方が、異体字としてわかりやすいと思うのですが、「万」の項目(一の2画)に「萬」も載せた場合、「萬」の項目(臼の7画)にはもう一度両方を載せるのか、〈「万」を見よ〉とするのか、そもそもどちらか一方に載せるとしたら、常用漢字の「万」に両方載せるのか、「萬」に両方載せるのか。
今回の試作では「万」の項目に「万」と「萬」の両方を載せ、「萬」の項目にも「萬」と「万」の両方を載せるということにしてみました。重複しますが、この方法が親切でしょう。
『字体変遷字典(仮)』【一】一丁七丁下三上丈万与丑
【七】「十」と字体衝突し、漢代に字体を変更する。明朝体で最終画を上にはねるのはなぜだろう。
【丈】「支」と字体衝突し、漢代に字体を変更する。「丈」は太宰治『人間失格』に3回出現するが、すべて点のある「𠀋」を使用し、点のない「丈」は不使用。この点は手書きの筆脈やリズムを整えるため、または他の字と区別するために打つもので、咎無し点、捨て筆などという。
【万】「萬」とは別字だが通じる。
【与】漢和字典の多くは「一」部の2画にしているが、康煕字典では「一」部の3画に、納得できない字体が載っている。「与」と「與」は紀元前から両方とも使われている異体字。「与」の最終画は江戸時代には右にはみだす、現在の常用漢字と同じ形で使われている。漱石は不思議な字体を書いている。
【丑】「那須國造碑」のように真ん中の横線を短くする書き方もある。これが異体字「丒」になったのだろう。
『字体変遷字典(仮)』【一】不且丘世卋丗丙丕丞両並
【丘】説文では「丘」の下に「土」を加えた字体を古文としている。『康煕字典』では「北」の下に「土」を加えた字体を古文としている。「丘」を「北」と誤ったか。
【世】古くから「世」「卋」「丗」とその亜種がある。中央の縦線が下に出た文部省活字の字体が説文篆文に近い。開成石経の字体は唐太宗の諱・世民の「世」を避諱し欠画したものか。「卋」は九経字様にあるが『康煕字典』では古文。漱石は「世」「丗」2種類の字体を使用。
【丙】行書や楷書では囲まれた空間中で右払いはしない。
【両】「兩」は「入」の部首に分類されるのだが、手書きでは「人」を書く。「両」は中国では清代、日本では江戸時代までみつけられない。太宰治が「両」を書いている。
【並】中国では古くから「並」と「竝」は両方とも使われている。日本では「並」の使用例が多いが、筆順が2種類ある。康煕字典には「竝」と「並」があるが「竝」はない。日本の印刷例では「竝」より「並」の例が多い。
『字体変遷字典(仮)』【h】个中串【丶】丸丹主丼【丿】乃乂久之乎
【丸】点の位置に注意。『康煕字典』では「凡」に似た字を正字とし、通用字体を俗字としている。漱石は江戸版本と同じ字体を書いている。直井潔「国定教科書に於ける正字俗字一覧表」では「文部省に於いて特に正体を舍てて俗體を取りれたるもの」としている。
【丼】「井」の異体字と字体衝突。中国での「丼」の使用例は「井」の意味での使用。「井」の字体は「井」を参照。「どんぶり」とは物が水に落ちる音という説もあり。
【之】説文の字体に対応する明朝体の字体が康煕字典では古文になっている。隷書以降の字体は里耶秦簡の字体を元にしたものか。
『字体変遷字典(仮)』【丿】乍乏乖乗【乙】乙九乞也乱乳乾
【乗】唐代の正字である開成石経(楷書)と清代の正字である康煕字典(明朝体)の字体が異なる。正字体の根拠である説文篆文と較べればどちらもおかしい。夏目漱石は伝統的な楷書/行書の字体を書いているが、太宰治は康煕字典/文部省活字の字体の影響を受けている。
【乙】ZのようになったりLのようになったりする。開成石経(唐代の正字)では転折の後、あまり左に戻らず、「風」の2画目のような形。
【也】説文に2種があり、康煕字典では片方が古文。ならば睡虎地秦簡の字体も古文ということになる。
【亂(乱)】「乱」は康煕字典に「亂」の俗字として掲載。日本では上代以降「亂」と「乱」の両方が使われるが、江戸時代にになると「乱」が多く使われ、繁体の「亂」の使用例がみつからない。文部省活字は「亂」。文部省活字の影響を受けていると思われる太宰治も「乱」を書き、「亂」は書いていない。
『字体変遷字典(仮)』【乙】亂【亅】予争亊事【二】了二于井
【予】「豫」と通じる。太宰治は「豫感」と書いている。
【争】「爭」が正字体とされているが、行書や楷書では「争」「爭」両方が書かれている。横線が右に出るものと出ないものがある。秦から漢にかけては上部を「日」に作る字体があり、草書の字体はこれをくずしたものである。「争」の字体は「日」が「ク」になったものではないだろうか。漱石も太宰も横線を右に出していない。
【亊・事】「亊」と「事」の差は「口」が点々に略されるだけでそれほど大きな問題ではない。下から2本目の横線が漢代までは右に出ているが、南北朝以降は出なくなる。九経字様、康煕字典など正字では出る。弘道軒も漱石も太宰も出ていない。漱石はほとんど草書を書くが、まれに楷書・行書の字体を書く。
【于】説文篆文と泰山刻石の字体が異なるが、もちろん泰山刻石が正しいのだろう。
【井】説文篆文には点があるが、なぜか正字にはない。
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