2010年11月10日

「來」はどのように「来」になったか

101109dai.png

左ハライから右ハライにつながるものは、早書きすると横線になります。
「大」の「人」の部分は「L」のようになったり「亠(なべぶた)」のような形になったりします。
上の例でいうと「大」が「土」のようになります。
「因」の中の「大」が
「大」→「土」→「工」→「コ」
と変化して「因」の異体字ができたのではないかという推測は拙著に書きました。

101109rai.png

「來」の「人」は「亠(なべぶた)」のような形になり、それがつながって「来」になったのでしょう。
上の史晨後碑の建碑は169年、禮器碑の建碑は156年ですから、同時期に「來」と「来」が使われていたことになります。

「人」が「亠(なべぶた)」のような形になる例にはもっと劇的なものもあります。

101109hatsu1.png

このように「はつがしら」が「業」の上部みたいになります。

101109hatsu2.png

赤で表したものが「亠(なべぶた)」みたいになったんですね。
※これは字体の説明です。道因法師碑が鄭羲下碑になったのではありません。

「殳(ほこづくり)」が「攵(のぶん)」になるのはまた別の機会に。
posted by トナン at 00:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私見ながら述べさせていただきます。
「發」について、鄭羲下碑の形のものは、魯峻碑のような形の隷書から出来たのではないかな。と思ったのですが、どうでしょうか……。
Posted by 翔平 at 2010年11月11日 18:20
翔平さん、コメントありがとうございます。
最も古い例は居延漢簡みたいです。
しかもその同時期に、草書化して草冠の略体のようになっている字もあります。
Posted by 図南 at 2010年11月11日 21:41
「麥」や「薔」(嗇)の上部も「来」や「青」の上部と同じように書けるはずですが、常用漢字から外れた文字は統一が取れずにまちまちですね。「麦」はいいのに、「莱」はときどき字典体だったり…。
活字があると、どうしても書写体に分けられてしまうことがあります。これが行書になると書きやすさが顕著になると思います。
うまく話がまとまりませんが…。
Posted by Mighty at 2010年11月13日 00:10
ボクは当用漢字や常用漢字の字体を手書きの字体にしたのが良くなかったと思っています。
印刷の字体に手書きの字体を取り入れてしまったために、違いがあやふやになってしまった。
印刷の字体と手書きの字体は違っていて良いと思います。
Posted by 図南 at 2010年11月13日 03:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック