2011年03月31日
【字体変遷字典】04-2 侠俺倶俱倹個候
【侠】通用体の「侠」が使われはじめたのは漢代。
【俺】2011年、人名用漢字から常用漢字になった。古い使用例がほとんどない。漱石も仮名で書いている。
【倶】第一水準だが、常用漢字にも人名用漢字にもないので人名には使えない。ただし異体字の「俱」は人名用漢字。
【倹】中国では使用例が見えない。日本でも江戸よりも前には使用例が見えない。漱石も正字を用いている。現代中国の字体は草書の字体。
【個】『五體字類』は「箇」と同字としている。『陸軍幼年学校用字便覧』も「箇」と同じ字種としてあげている。現代中国では「個」も「箇」も「个」を使う。
【候】江戸より前は「亻+矦」の字体。
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そのほかにも明治時代のものですと『金色夜叉』『土』などに使用されているようです。
コメントにある作品の直筆の影印はどこかで手に入りますか?
『坊っちやん』も青空文庫にあるテキストでは漢字で「俺」となっているのですが、直筆の影印を見ると仮名で「おれ(連)」なのです。
『吾輩は猫である』の原稿は九章と十一章の大部分、十章のうち僅か四枚しか現存しません。「俺」と書く例は四章から六章までの一二箇所ですから、原稿と確認することはできません。なお、ひらがなで書かれた「おれ」は二三箇所あります。
『琴のそら音』は全文原稿が存在します。『漱石全集』第二巻の88頁から89頁にかけて三例の「俺」が記されています。従って夏目漱石が「俺」の字を使用したことは明らかです。
なお、原稿は個人蔵とのことでどこに所蔵されているかどうかは明らかにされていません。
『坊っちやん』は主人公の自称が「おれ」とひらがなで示されているわけで、自称に「吾輩」「余」が用いられている『吾輩は猫である』『琴のそら音』とは事情が違うと思います。『ちくま日本文学全集』で「俺」とある箇所は『漱石全集』ではいずれも「おれ」になっています。
まとめると……
『吾輩は猫である』1905年(明治38年)1月〜1906年(明治39年)8月
『琴のそら音』1905年(明治38年)6月
で漱石が「俺」と書いているということですね。
それ以外の「カーライル博物館」「ケーベル先生」「こころ」「それから」「一夜」「永日小品」「虞美人草」「幻影の盾」「工夫」「行人」「三四郎」「思ひ出す事など」「手紙」「趣味の遺伝」「硝子戸の中」「草枕」「道草」「二百十日」「彼岸過迄」「文鳥」「変な音」「坊っちやん」「夢十夜」「明暗」「門」「野分」「倫敦塔」「薤露行」には「俺」の字は一例も現れません。
当方で調べた限り、「俺」を1人称で「おれ」として使っている例で最も古いのは、小駒さんも指摘してくださった尾崎紅葉『金色夜叉』(1898年・明治31年)の第一巻6章76頁の例。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886443
1人称ではない使用法では『理礼氏薬物学 17巻』[第5冊]巻之5(1871年・明治4年)に「満俺」(元素の名前)がもっとも古いようです。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994910/37