2011年05月06日
稲荷山鉄剣銘の「宮」
昨日、行田の「さきたま史跡の博物館」で稲荷山鉄剣銘を見てきました。
これが鉄剣銘の「宮」です。
前から気になっていたんですが、ウカンムリを除いた部分は「呂」でしょうか、「口」が2つでしょうか。
実物を見てもよくわかりませんでした。
博物館でいただいた「見学のしおり」の解読では「呂」になってます。
「口」と「口」をつなげる線をこんなに右の方に書くでしょうか。
北川博邦編『日本上代 金石文字典』雄山閣出版の「宮」の項です。
稲荷山鉄剣銘の「宮」は微妙ですが、他の例はすべて「口」が2つであって「呂」ではありません。
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先生のご指摘のように、中国の南北朝期に「つながった宮」があるのは承知しています。
教えていただいた『魏太監劉華仁墓誌銘』は知りませんでしたけど。
上の記事で「つながった宮」がない、としたのは稲荷山古墳と同時期(日本の上代)について言ったつもりだったのですが、はっきりと書いていませんね。反省。