2011年10月25日
古代、「七」は「十」と書いていた
甲骨文の時代は「七」は「十」の字体だった。一方、「十」は「h」だったが、金文の頃に中央がふくらみ、秦でそのふくらみが横線になり「十」になる。ここで「七」と「十」の字体が衝突する。
睡虎地秦簡では横線が長い十が「七」、縦線が長い十が「十」というあやふやな字体差で区別している。
居延漢簡では「七」が「十」の字体のものと、縦線の下部を右に曲げて「七」の字体にしたものが出現。後漢の曹全碑はそれに倣っている。
乙瑛碑は「七」も「十」も「十」の字体だが、「七」の横線に磔(右払い)をつけ、「十」の横線には磔をつけないことによってちょっと苦しい区別をしている。
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