2011年12月26日

干支のはなし(居酒屋トークのまとめ)


先日、居酒屋で常連さんとしゃべっていて、年賀状のはなしがふくらんで干支のはなしになって、「いまのはなし、ブログにまとめてくれ」といわれたので書きます。
このブログの読者には釈迦に説法でしょうけど。

干支というのは十干と十二支の組み合わせのことです。
十干は「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種です。
十二支は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類です。
十干と十二支を「甲子」「乙丑」「丙寅」……という風に順番に組み合わせると60通りあります。
もともとは「甲子の日」「乙丑の日」「丙寅の日」……という風に60日間の日を数えていたようです。
日を干支で数えるのは殷代からずっと続いていて今日まで1日もずれていないそうです。
殷代は十干の10日を「旬」といっていました。
1ヶ月を「旬」で区切ると「上旬」「中旬」「下旬」。
「旬のもの」なんていい方もありますね。

干支を年にあてはめて60年を数えるのは前漢の頃にはじまったようです。
61年目には元の干支にもどります。これを還暦といいます。
2011年は「辛卯」で、2012年は「壬辰」にあたります。
「甲子園球場」は「甲子」の年にできたのですね。

十干は五行説にあてはめて2つずつに分けていうことがあります。
五行説は万物は「木・火・土・金・水」の5つの元素でできているとする説です。
十干を五行にあてはめると
「甲・乙」が「木」
「丙・丁」が「火」
「戊・己」が「土」
「庚・辛」が「金」
「壬・癸」が「水」
になります。
「甲・乙」「丙・丁」……を「兄」と「弟」に分けて
「甲」を「木の兄(きのえ)」
「乙」を「木の弟(きのと)」
「丙」を「火の兄(ひのえ)」
「丁」を「火の弟(ひのと)」
という風にいいます。
これに十二支を合わせて
「甲子」を「木の兄・子(きのえ・ね)」
「乙丑」を「木の弟・丑(きのと・うし)」
「丙寅」を「火の兄・寅(ひのえ・とら)」
という風にいいます。
2011年は「辛卯」ですから「金の弟・卯(かのと・う)」、2012年は「壬辰」ですから「水の兄・辰(みずのえ・たつ)です。
「えと」というのは「兄弟」のことです。

十二支は刻(時間)に使うこともあります。
「子の刻」が真夜中。
「丑の刻」が真夜中の2時間後ぐらい。
という具合です。

時を数でいうこともあります。
「9」からはじまって9の倍数の1の位だけをいいます。
(これは中国の陰陽説に由来するようです。陰陽説では奇数を「陽」、偶数を「陰」とし、最も大きな陽数「9」を特別な数としたそうです)
「9」が「九ツ」で真夜中で「子の刻」。
「18」の1の位だけを読んで「八ツ」で「丑の刻」。
「27」で「七ツ」で「寅の刻」。「お江戸日本橋七つだち」この頃に出発すること。
「36」で「六ツ」で「卯の刻」。これが「明(け)六ツ」。
という具合で「五ツ」「四ツ」までいったらまた「9」に戻る。これが「昼九ツ」。
「明け六ツ(卯)→朝五ツ(辰)→昼四ツ(巳)→真昼九ツ(午)→昼八ツ(未)→夕七ツ(申)→暮れ六ツ(酉)→宵五ツ(戌)→夜四ツ(亥)→真夜九ツ(子)→夜八ツ(丑)→暁七ツ(寅)」
という風にいいます。
現在も「真昼九ツ(午)」を「正午」といいますね。
落語の『時そば』で最初の日に蕎麦を食べるのが「真夜九ツ」。翌日蕎麦を食べるのがその一刻前の「夜四ツ」です。
ただし、江戸時代は、夜明けを「明(け)六ツ」、日没を「暮(れ)六ツ」として、昼と夜をそれぞれ等分していたので一刻は2時間ごとではありません。

十二支は方位にも使います。
「子」が北。「卯」が東。「午」が南。「酉」が西。

十二支は季節にも使います。
亥卯未が春。巳午未が夏。申酉戌が秋。亥子丑が冬。
〈訂正2012/01/25〉
寅卯辰が春。巳午未が夏。申酉戌が秋。亥子丑が冬。

季節には色も対応しています。
「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」。
「玄」と「くろうと」というように「黒」のことです。
季節は人間の一生にも対応させることがあります。
ボクの年齢では「青春」はとうに過ぎ、「白秋」にさしかかっているのかな。

色は方角にも対応しています。
相撲の「青房」=東。「赤房」=南。「白房」=西。「黒房」=北。

さらに方角と色はその方角を守る聖獣と対応しています。
「青龍」=東。「朱雀」=南。「白虎」=西。「玄武」=北。
「武」というのは亀と蛇を合成したような姿をしているそうです。
「朝青龍」というのはいい名前ですが、「朝赤龍」というのは意味がおかしいかもしれません。


以上、はずかしながら居酒屋トークをまとめました。

posted by トナン at 16:34| Comment(3) | TrackBack(0) | tonanの日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも楽しみに拝見させていただいております。

さて、文中にの十二支での季節ですが、

> 亥卯未が春。巳午未が夏。申酉戌が秋。亥子丑が冬。

 寅=二月、卯=三月、辰=四月
 巳=五月、午=六月、未=七月
 申=八月、酉=九月、戌=十月
 亥=十一月、子=十二月、丑=一月

なので、寅卯辰が春、巳午未が夏、申酉戌が秋、亥子丑が冬、
ではないでしょうか?
Posted by T at 2012年01月25日 14:40
Tさま、ご指摘ありがとうございました。
記事を訂正しました。

ところで、
Wikipediaの「陰陽五行思想」ではTさんのおっしゃるように寅を2月にあてて、2〜5月を春としていますが、
http://bit.ly/i0dLwb

春は、二月寅、三月卯、四月辰(五行は木、木、土)
夏は、五月巳、六月午、七月未(五行は火、火、土)
秋は、八月申、九月酉、十月戌(五行は金、金、土)
冬は、十一月亥、十二月子、一月丑(五行は水、水、土)、となる。


ところが同じWikipediaの「十二支」では寅を1月に当てて、1〜3月を春としてます。
http://bit.ly/bwFOqM

寅卯辰(1〜3月)春
巳午未(4〜6月)夏
申酉戌(7〜9月)秋
亥子丑(10〜12月)冬

どちらが正しいのかわからなくなりました。
Posted by 圖南・大熊肇 at 2012年01月25日 18:47
寅の1月について調べてみました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/
 寅の月は旧暦1月

http://fudoumyooo.fc2web.com/eto/eto_junisi.html
 理由無し

http://www.nengasyotyuu.com/nenga/ninfo/ninfo_01.html
 古代中国では、冬至を含む月(陰暦の11月)が年初とされていました。
 十二支の先頭である「子」が11月に割り当てられ、12月が「丑」、
 1月が「寅」と巡り、

とあります。私も、そう記述した本を読んだ覚えがあります。
まだあるかも知れませんが、ネットで検索できたのは上記3件のみ。

寅月や旧暦で手元の辞典等で調べても分からず、国立国会図書館へ電話しました。
http://www.ndl.go.jp/koyomi/kotoba/02_index.html

私は田舎者なので直接資料を見られず、近くの市立図書館を通じてと
いうことになりました。しかも回答は1ヶ月はかかるとのこと。
結論に至るか分かりませんが、回答が入り次第ご連絡いたします。
Posted by T at 2012年01月26日 13:10
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