2013年07月25日

「敍」「敘」「叙」


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「敍」「敘」「叙」は同じ字種の異体字です。

説文篆文の字体に従えば「敍」となりますが、「攴」と「攵」は通用しますので、唐代の正字体は「攵」を採用しています。「子弾庫楚帛」の旁は「攴」ですが、解釈によっては「敘」になります。
『陸軍幼年学校用字便覧』では「敍」を〈本字〉、「敘」を〈正字〉、「叙」を〈許容字〉としています。

『干禄字書』や『五経文字』では「叙」は〈俗字〉や〈訛〉とされています。

いままで「敘」が「叙」に変化したのだとおもっていました。ところが、隷書に「叙」しかないこと。甲骨の旁(旁が左に有る)が「又」ですから、古代から「叙」になるべき字体が存在していて(説文篆文には伝わらずに)それが隷書に伝わったとも考えられます。

明朝体の「攴」には縦線が中央のものと左に寄ったものの2種があります。

そもそも当用漢字表の手書き原稿では「敘」でしたが1946年の官報で印刷された活字の字体は「敍」(の縦線が左に寄ったもの)でした。1947年、官報で「敘」に訂正されましたが、1949年の当用漢字字体表で採用されたのは「叙」でした。

人名に使える字体は以下の通りです。
「敘」1948年1月1日〜1981年9月30日
「叙」1949年4月28日〜現在
「敍」1981年10月1日〜現在

「敘」は唐代の正字体でありながら、1981年9月30日いっぱいで名付けに使えなくなり、翌日の1981年10月1日からかわりに「敍」が使えることになりました。

1981年まで、当用漢字表にある親字と当用漢字字体表にある字の両方が名付けに使えたのです。ところが1981年に常用漢字表が告示されたときに、名付けに使える字は常用漢字表の親字と〈括弧書きされた旧字体と当用漢字表にある親字の字体〉と決まったからです。「敘」は当用漢字表にはありましたが常用漢字表の括弧書きの字は「敍」だったために名付けに使えなくなりました。

それなら「敍」は当用漢字表になかったのだから名付けに使えないはずですが、特例として使えるようになったようです。それは当用漢字表が告示されたときから翌年に訂正されるまで生きていたからでしょうか。

追記(2013/0725)
当用漢字表、当用漢字字体表、常用漢字表などに記載された字体をまとめると以下の通りです。

「敘」当用漢字表の手書き原稿。
「敍」当用漢字表(1946/11/16)
「敘」官報上で訂正(1947/06/09)
「叙(敍)」常用漢字表(1981/10/01)

〈疑問〉当用漢字表(1946/11/16)から官報上で訂正(1947/06/09)までの間は、「敍」と「敘」のどちらが人の名付けに使われていたのでしょうか?
posted by トナン at 01:01| Comment(1) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
> 〈疑問〉当用漢字表(1946/11/16)から官報上で訂正(1947/06/09)までの間は、「敍」と「敘」のどちらが人の名付けに使われていたのでしょうか?

1947年12月31日までは 子の 名付けに 漢字制限が ありませんでした。
子の 名付けの 漢字制限は 1948年1月1日からです。
だから 1947年6月9日 時点では 「敍」と「敘」の 両方が 子の 名付けに 使えます。
Posted by ソケセテ at 2024年02月19日 19:04
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