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【呪】「咒」は「くちへん」の位置が動いた異体字(動用字)。日本では上代から江戸期まで「咒」の方が優勢。
【周】説文篆文では「冂」の左肩が開いており、五経文字もその字体を採っているが、甲骨、金文を見る限り、左からが開いている必然性はないようだ。
手書きの通用体では「周」が書かれ、康煕字典に倣った活字では「周」が使われるが、弘道軒も文部省活字も「周」。
漱石は「周」を書くが太宰は「周」を書く。
昭和24年の時点で岩田母型製造所に「周」の字体の母型はなかった。
【和】金文を見るかぎり、この字は「禾(のぎへん)」ではなく「木(きへん)」に従う字だったらしい。
説文篆文では「秩vで郭店楚簡の字体と合致するが、他に合致する例がみつからない。
康煕字典では説文篆文の「秩vを古文としている。
【哀】日本では「口」の下に横線が加わる字体が優勢。
また日本では上部が「亠」ではなく「𠂉」になることが多い。
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【呪】「咒」は「くちへん」の位置が動いた異体字(動用字)。
日本では上代から江戸期まで「咒」の方が優勢。
【周】説文篆文では「冂」の左肩が開いており、五経文字もその字体を採っているが、甲骨、金文を見る限り、左からが開いている必然性はないようだ。
手書きの通用体では「周」が書かれ、康煕字典に倣った活字では「周」が使われるが、弘道軒も文部省活字も「周」。
漱石は「周」を書くが太宰は「周」を書く。
昭和24年の時点で岩田母型製造所に「周」の字体の母型はなかった。
【和】金文を見るかぎり、この字は「禾(のぎへん)」ではなく「木(きへん)」に従う字だったらしい。
説文篆文では「秩vで郭店楚簡の字体と合致するが、他に合致する例がみつからない。
康煕字典では説文篆文の「秩vを古文としている。
【哀】日本では上部が「亠」ではなく「𠂉」が多い。
また「口」の下に横線が加わる字体が優勢。
そのような字体は中国では北魏および唐代の楷書にある。


とありますが、「龢」は甲骨文、金文にいくつも例がありますよ。
総画索引で22画の「龢」を直接探してみてください。
あっ、ホントだ。ご指摘ありがとうございます。