先日(2008年3月11日)JAGAT 「書体デザインの新潮流」セミナーに参加して、可読性の話になりました。思えば可読性について調べたのは学生だった20年以上も前のこと。恥ずかしいのですが思い出して書いてみます。
1987年、桑沢デザイン研究所のリビングデザイン研究科グラフィックデザインコースというのに通っていました。その卒業制作は2つあって一つは草刈順さんが担当教授のものでこれはかなり自由な課題でして、これは帝銀事件の平沢貞通のメールアートにしました。新聞に載っていた平沢の顔を2メートルに拡大し網点のアウトラインをとります。これをハガキ大に切って当時関わった警察官、検事、弁護士、歴代法務大臣、帝銀事件に関わる映画を撮った関係者、研究者などに送り、塗り絵をして送り返してもらい、返ってきたハガキを元の位置に貼る、という作品です。
もう一つは道吉剛さんのもので、タイポグラフィでした。これはタイポグラフィについて自分でテーマを決めて調べて文章を書き、写植を指定して版下を作り、印刷する。というものでした。ぼくは「本文組書体の可読性(のちに『本文組書体の考察』と変更)」というテーマにしました。
まず『明朝活字』の著者・矢作勝美さんに会いに行きました。道吉さんから連絡をとってもらってやっと会ってもらえることになったのです。今なら話を盛り上げて最後の方でもっとも知りたいことを切り出すのですが、あのころは若かった。お会いして挨拶もそこそこにいきなり
「先生の御著書を読みました。可読性について『文字の読みやすさを指し、その意味内容としては、正確に早く読めること、理解しやすいこと、きれいで美しく、読んでいて疲労を感じないこと』とありますがこれでは定義になりません。『読みやすさのこと』とはどういうことなのでしょうか。そもそもそれをどのように測るのでしょうか?」
と聞いてしまったのです。ほとんど言葉を交わすこともなくにらみ合うようにして時間だけが過ぎ、何の収穫もなく帰ってきました。後で道吉さんから
「矢作さんが『近頃めずらしいデザイン青年に会ったよ』と言っていたよ」
と聞きました(トホホ)
このころ吉田佳広さんにレタリングを習っていまして、上記の話をすると
「可読性は定義できないんだよ。でも速読性の実験結果はあるよ」
とおっしゃるので事務所に押しかけて見せていただきました。その後、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所に残っているサンプルを小宮山博史さんからいただきました。
以下は、小宮山博史さんから発表する許可をいただき、卒業制作でまとめた内容です。
書体研究グループ「月曜会」資料
表紙には
(秘)
充分に普遍化された概念として定着させるカオスの中で、われわれはできるだけ広範囲の〈迷い〉を体験しなければならない
とあります。
1974年4月、「月曜会」というつまらない名前の書体研究グループが組織されました。毎週月曜日に会合をもっていたようです。目的は「新しい長文用本文組書体を作る」です。リーダーは佐藤敬之輔。メンバーは桑山弥三郎、吉田佳広、森啓、小塚昌彦。佐藤タイポグラフィ研究所の小宮山博史さんが記録をまとめたようです。
月曜会は可読性を定義することを諦め、一定時間にどのくらい読めるかという「速読性」のテストを繰り返しました。
速読テストに用いたサンプル
No.(1)〜(8)についてはテスト結果が残っていません。
No.(9)〜(20)についてのテスト結果が残っています。
小宮山さんのお話ではNo.(1)〜(8)が学生、生徒、一般用で、No.(9)〜(20)が専門家向けだったそうですが、資料にはNo.(9)〜(20)について19歳〜26歳の学生を対象にした結果が残っています。
〈縦組み〉
No.09 精興社 8pt ベタ 行間4.5pt 18字×33行 総字数533字 線幅比:5.95 テキスト:夏目漱石『草枕』(活字の清刷を使用)
No.10 日活 12Q ベタ 行間6歯 18字×35行 総字数607字 線幅比:6.2 テキスト:夏目漱石『草枕』(オフセット印刷)
No.11 岩田 12Q ベタ 行間6歯 18字×35行 総字数611字 線幅比:不明 テキスト:夏目漱石『草枕』(オフセット印刷)
No.12 モトヤ 12Q ベタ 行間6歯 18字×35行 総字数567字 線幅比:6.15 テキスト:夏目漱石『草枕』(オフセット印刷)
No.13 リョウビ細明朝 13Q ベタ 行間7歯 22字×30行 総字数658字 線幅比:6.2 テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
No.14 写研LM-NKL 13Q ベタ 行間7歯 22字×30行 総字数661字 線幅比:6.15 テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
No.15 モリサワ細明朝AC-1 13Q ベタ 行間7歯 22字×30行 総字数645字 線幅比:不明 テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
No.16 写研MM-NKS 13Q 1歯詰め 行間7歯 22字×30行 総字数640字 線幅比:不明 テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
No.17 写研MM-NKL 13Q ベタ 行間7歯 22字×30行 総字数651字 線幅比:6.5+α テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
No.18 モリサワ中明朝ABB-1 13Q ベタ 行間7歯 22字×30行 総字数644字 線幅比:6.2 テキスト:『新約聖書』「ノアの洪水」(オフセット印刷)
〈横組み〉
No.19 錦精社細明朝 12Q ベタ 行間12歯 25字×38行 総字数907字 テキスト:中谷宇吉郎『雪』(オフセット印刷)
No.20 写研LM-KPY 12Q ベタ 行間12歯 25字×33行 総字数774字 テキスト:中谷宇吉郎『雪』(オフセット印刷)
※線幅比:縦線が3本の字(たとえば「世」など)の縦線の幅の平均/仮想ボディーの一辺
(いずれも漢字率30%以下)
テスト方法
19歳〜26歳の学生を対象に、40秒間に何文字読めるかをテストする。被験者がそのテキストを読んだ経験がある場合はカウントしない。
午後と夜間30人ずつテストする。これを繰り返しテストする。
午後2:00〜3:00 30人中 男21人、女9人
夜間8:00〜9:00 30人中 男15人、女15人
読字テストの結果(40秒間の平均読字数)
No.09 昼360字 夜410字
No.10 昼360字 夜415字
No.11 昼360字 夜425字
No.12 昼365字 夜420字
No.13 昼365字 夜440字
No.14 昼365字 夜450字
No.15 昼365字 夜460字
No.16 昼375字 夜470字
No.17 昼365字 夜465字
No.18 昼380字 夜470字
No.19 昼360字 夜475字
No.20 昼335字 夜450字
読字テストの結果のまとめ
1. サイズについて
読字速度は文字サイズに比例する。
9pt100字を読む時間で8ptは88字しか読めない。この比はほぼ9:8(100:88≒9:7.9)である。
2. 行間について
1行42字詰の場合、理想の行間は文字サイズの5/8〜6/8である。(上記のテストの他に1行42字詰のテストもしたらしい)
3. 線幅(ウェイト)
線幅比が4.9〜5.5%がもっとも結果が良い。線幅比:縦線が3本の字(たとえば「世」など)の縦線の幅の平均/仮想ボディーの一辺
4. 書体・字体
1)漢字を変えてもあまり速読性に差はなく、ひらがなを変えると速読性の違いが著しい。
2)12Qでは書体を変えてもあまり差が出ないが、13Qでは書体による速読性の差が著しい。
5. 組み方向
〈縦組みの場合〉ひらがなの字幅を揃えると速読性が減少する。
〈横組みの場合〉字高を揃えラインを揃えると速読性が減少する。
〈メモ〉
※佐藤敬之輔は、桑沢デザイン研究所で授業を持っていた頃、「横組みのかなはラインを出せ」と教えていたが、晩年は「あれは間違いだった。横組み用のかなは固有の形を重視し、文字の重心を揃えるべきだった」と悔やんでいたそうです。
※写研の石井茂吉は、佐藤敬之輔に「石井さんの明朝体は横に組むと重心が不揃いになる」と指摘され、「日本語は縦に組むものです」と答えたそうです。
※横組みの速読テストで、タイポス35よりもタイポス37の方が成績が悪かった。タイポス35よりもタイポス37の方が字面が大きく、線の方向や位置が揃っていたからでしょう。
※横組みの速読テストで、ナールも成績が悪かったとか。
6. エレメントよりも骨格が重要
細部のデザインよりも骨格の違いの方が、速読性に違いが出る。
7. 印象と実際
速読テストの前に、読み易いそうかどうかというアンケートをとったのだが、印象とテスト結果は必ずしも一致しなかった。
いやあ古い話でした。遠くを見るよなオジンの目になっちゃいました。