2005年11月12日

「吉」再考

「吉」再考
――誤りやすき字左に(中略)吉の士を土に書く者多し。――

正岡子規著『墨汁一滴』岩波文庫の47ページにある1901年3月4日の文章である。
『墨汁一滴』は1901年1月16日から7月20日まで、新聞『日本』に連載された子規、最晩年の随筆。
子規は、「吉」の「士」を「土」に書くのは間違いだ。といっているのである。
「吉」だけではなく、「盡」の上部は「聿」ではないとか、「閏」の中は「王」ではなくて「壬」だなど、いろいろな例をあげている。
100年以上も前の正岡子規のような知識人でさえこうなのだから、いはんや現代人をやである。

同年3月17日の随筆にはこうある。

――誤りやすき字について(中略)不折は古碑の文字古法帖の文字抔を目のあたり示して全内吉などの字の必ずしも入にあらず必ずしも士にあらざる事を説明せり。かく専門的の攻撃に遇ひては余ら『康煕字典』位を標準とせし素人先生はその可否の判断すら為しかねて今は口をつぐむより外なきに至りたり。――

子規は『康煕字典』を見て字体を判断していたのね。

不折とは、洋画家にして後年は書にのめりこみ、自費で書道博物館を建てた中村不折である。
ここで不折にならって、古碑の文字古法帖の文字抔を見てみよう。

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白川静『常用字解』平凡社より。
1901年にはまだ「甲骨」は発見されていない。
白川説では、「吉」は鉞とサイという祝詞を入れる器との会意字、である。
古代文字ではどちらが長くてもかまわないようだ。
ただし「説文」の例示字体は「士」である。

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隷書では「土」。

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一般の人が書く楷書〈通字〉では「土」。

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唐時代の正字は「士」。
正字とは皇帝用の字体。
科挙の試験では「士」をかかないと不正解。

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『康煕字典』を含めて、明朝体ではいずれも「士」。

以上をまとめると、
古代文字では「士」、「土」どちらでも良い。
隷書、楷書などの手書き文字では「土」。これは「土」の方が格好がいいから。
唐時代の正字では「士」。これは唐時代の正字が『説文解字』の小篆の例示字体を楷書にしたから。
明朝体、ゴシック体などの印刷用書体では、いずれも「士」。これは『康煕字典』が皇帝の命によって作られた字典で、正字の伝統をついでいること。
それと印刷用書体では、「士」の方が格好が良いからである。

全国の吉田さんや吉川さん吉沢さんが、「うちの吉は上が長いんです」とか「うちのは上が短いんです」などといっているが、あまりにもナンセンスである。
歴史的には、手書きすれば上が短くなり、印刷すれば上が長くなるのだ。
ただし、正岡子規のように『康煕字典』の字体が正しいと思っていた人は、手書きでも「士」の吉を書いていた可能性はある。
要するにどちらでもよいのである。
posted by トナン at 11:27| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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