2008年04月22日

「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!

『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』という本を買ってみた。
旧字体(旧漢字)を鉛筆で書こう、という本なのだが、残念ながら旧字体(旧漢字)は(主に明朝体で)印刷をしていた字体であって、手書きをしていた字体ではない。

1949年、当用漢字字体表が発表され新字体が採用された。
これによってそれまで使われていた字体は、旧字体とか旧漢字と呼ばれることになった。
ただしこれは印刷についてのことである。
当用漢字字体表の発表前には、印刷字体と手書き字体は違うものだったのである。



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▲『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』より
旧漢字をエンピツでなぞって書くのだが、旧漢字は手書きするための字体ではない。

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▲『日本名跡大字典』より

当用漢字字体表の発表前、たとえば「塩」は旧字で印刷されていたが、手書きでは「塩」と書かれていた。

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▲『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』より

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▲『日本名跡大字典』より

「真」は「眞」と印刷されていたが、手書きでは「真」と書いていた。

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▲『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』より

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▲『日本名跡大字典』より

「遅」は「遲」と印刷されていたが、手書きでは「遅」と書いていた。「しんにょう」は「2点しんにょう」で印刷されていたが、手書きでは「1点しんにょう」で書かれていた。

旧漢字というのは、印刷するものであって手書きするものではない。
しかもこれは『康煕字典』が発行された1716年以降のことである。
新字体では、手書きで書かれていた字体が多く採用されている。

僕も印刷には旧字体を使いたいと思っている一人であるが、旧字体を手書きするのには断固反対する。
手書きには伝統的な手書き字体を書きたいと思っている。



楷書・筆写体と活字・字典体のふたつの系統の違いについて、両者の間の形の変遷を解明した名著。



上代から南北朝の頃までの日本の名跡を集めた字典。
posted by トナン at 14:47| 埼玉 ☁| Comment(37) | TrackBack(3) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
http://mahoroba.lib.nara-wu.ac.jp/y05/html/176/
伊勢本節用集を見ると、正字體と略字體が入亂れてゐますね。手書きの場合、嚴密にどちらを使ふといつた決りは全くありません。正字體で書いても全然問題ないんです。

易林本節用集は大體正字體です。正宗敦夫の日本古典全集刊行會が出した寫眞版に據る復刻本で見る事が出來ます。

昔は連綿體なんかを使つてゐたりするので、一字一字きつちり分けて書く現代の手書きと單純に比較する事も出來ません。

簡單に「旧字体」と言つてゐますが、明治から昭和にかけても正しいとされる字體に變遷があります。
永野賢氏が國定教科書の字體の變化を調べてゐます。
http://noz.hp.infoseek.co.jp/kokugo/
そもそも言葉は變化するものなので、固定的な「旧字体」なるものが存在しません。現代の固定された「常用漢字」の字體に對して、過去に用ゐられた字體をひつくるめて「旧字体」と言つてゐるのであり、「旧字体」と云ふ言葉自體が嚴密な意味を持ちません。
Posted by 野嵜 at 2008年04月22日 20:19
ついでに言ふと明治の初頭邊までは手書きの文字をそのまゝ眞似して(?)印刷してゐたので、今と違つて手書きの字體と印刷の字體が一致してゐたと言ふ事も出來ます。手書きの文字と印刷字體とが分離したのは、近代的な活版印刷が日本でも行はれるやうになつたからです。
Posted by 野嵜 at 2008年04月22日 20:33
当用漢字字体のもたらしたよい側面が、印刷書体と筆記書体が近いものになり多くの人々が漢字を難無く覚え、使いこなすことができるようになったことだと思います。ただし、之繞のような漢字を構成する部位を変えてしまったこと、これは当用漢字表に収められたもの以外の漢字との字体差を生み出してしまい、結果的によくありませんでした。最低限、二点之繞に統一したり、「雪」の下の部分の形は中央の棒を突出るままにしておいたままにしておけばよかったのではと思います。しかし、現在の日本の漢字字体は修正を加えた康煕字典にもとづいており、常用漢字表外の旧形のままの漢字のほうが遙に数が多いこと、手書形に近附けたとはいえ、結局明朝体と手書体は異ることなどを勘案しますと、やはり漢字字形はいわゆる旧字形にもどすべきであると思います。ただ、戦前のように出版元ごとにわずかに異る字形差(帝の字の一画めは縦棒か横棒かなど)をなくすために、国家が字形を統一し、告示するべきですね。
Posted by 通りすがり at 2008年04月22日 23:52
このエントリは、手書きの世界に印刷字体を持ち込むことの愚を言い当てたものと理解しました。趣旨に賛成いたします。

一方で、コメントを寄せられたお二人は、エントリで取り上げた本と同じ過ちを冒しているように思えます。

野嵜さんがお書きになっている「正字體」とは、取り上げられた本における旧漢字=印刷字体の正字体(康熙字典体)でしょう。誤解されておいでと思いますが、康熙字典体は印刷字体であり、たとえば干禄字書や開成石経にある正字体とはすこし異なります。全然別とまで言いませんが、少なくとも分けて考えるべきものです。

また、通りすがりさんも二点しんにょうを云々している以上、この方の「旧字形」も印刷字体である康熙字典体と考えられ、やはり同じ過ちを冒していると考えられます。

漢字字体規範データベース(http://www.joao-roiz.jp/HNG/)などを使い、伝統的な手書きの正字体においてしんにょうの点の数はいくつなのか、ご覧になることをお勧めいたします。
Posted by だれかさん at 2008年04月23日 16:01
結局、この記事では、「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!ということが言いたいのだと思いますが、全くのウソというわけでもないですよね。
所謂旧字体で手で書いている人も居ることは居ます。それは、康煕字典体を手書きで真似ることが間違っているのかいないのかには関係無くです。そしてその人たちはおそらくごく少数の人です。
だれかさんの指摘ももっともなのですが、ちょっと極端な意見にも見えます。
『漢字字体規範データベース』や『書源』などは、毛筆がメインであった一昔前までの記憶であり、鉛筆やペンがメインとなり印刷技術が発達した近代の字が反映されていません。まあそれを入れたとしても、康煕字典体の使用例はほとんど出てこないだろうとは思いますが w

ところで、屁理屈のような質問になりますが、活字体を手で真似ることは、何が悪いのでしょう?
Posted by 通りすがり2 at 2008年04月24日 18:43
活字体を手で真似るのは別に悪くはないです。
上記の本では字典体の手書き例に書き順まで示していますから、予備知識のない人は、当用漢字字体表の告示前は、ほとんどすべての人が字典体を手書きしていたと誤解するとおもいます。
「活字と手書きは違うけれど、旧漢字を覚えるためにあえて手書きする」ということわりがないところがひっかかるのです。

過去にも正字を書いた人はいるにはいます。
まず、欧陽通。父の欧陽詢は太宗皇帝の側近でありながら正字は書いていませんが、欧陽通は唐の正字の影響を受けているとおもわれます。
次に顔真卿。この人は顔元孫の『干禄字書』を書いていますからね。『干禄字書』の元になった『顔氏字様』を著した顔師古でさえ正字は残していません。
日本では空海。この人は一つの書物にいろいろな字体を書いています。これはわざとだとおもいます。後に『篆隷万象名義』を著す人ですから。
近代では正岡子規。この人は『康煕字典』の字体が正しいと思いこんでいた人です。
他に夏目漱石なども、正字でも通字でもない不思議な字体を書いています。

これらは特殊な例であって、大多数の人が字典体を手書きしていた、と誤解されるようなものはまずいとおもいます。

ぼくもsc恒存の『私の国語教室』は読みましたが、これは手書きについての著書ではありません。ですからまったく問題ないのです。

印刷に関しては字典体を使う方が良いとおもいます。字典体というのは篆書なのです。ただし字典体を手書きすることには反対です。筆記通行体は長い年月をかけて手書きのために洗練されてきた字体なのです。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月24日 21:05
非常な誤解をされてゐるやうなのですが、正字體は別に印刷專用の字體ではありません。實際に手で書かれてゐた字體です。特に昭和二十年前後には一般に手書きで用ゐられてゐたと言つて良いと思ひます。さう云ふ風に世の中がなつて來たところで敗戰と云ふ事態が生じ、國字改革が行はれました。

具體的には書けませんが、戰後直後(昭和二十〜三十年代)に日本の某社がフランスの某メーカーの某製品をばらして調査した時の報告書なんてものがありまして、見られる場所にあつたので今日讀んでみたのですけれども、假名遣は大體正かなづかひ(一部に表音的な表記が混じる)、漢字は大體正字體で文字によつて略字體、となつてゐました。書いた人は技術者で、戰前の教育を受けた人ですが、普通に正字體を用ゐてゐました。しかし、文字によつては普通に略字體を用ゐてゐました。

この記事で示されてゐる畫像には、過去の文献にある文字が載つてゐます。けれどもそれは、飽くまでその文献における字體です。これらの字體が世の中全てで通用してゐた事を證明するものではありません。現實の社會では樣々な書き方がなされてゐました。
『日本名跡大字典』は飽くまで名跡と呼ばれる書を對象にした調査であり、かなり古い時代の文献における書を材料にしてゐます。その後、明治以降ですね、活字による印刷が一般化し、また教育が普及してからは、手書きの領域でも漢字の書き方が變化してゐます。その變化を大熊さんは御認めにならない訣です。けれども私はその變化もまた歴史的に當然の變化であると認め、手書きにおいて正字體を用ゐる事はあり得ると考へます。

安いぼろぼろの古本を買つて來ると、藁半紙にガリ版で刷られた何かのおしらせとか、葉書とかがページの間に紛れ込んでゐるものですが、割と普通に正字體が用ゐられてゐます。扉や見返しに感想が書かれてゐる事もあつて、樂しく讀むのですけれども、正字體である事が結構あります。實際に手書きで書かれてゐるものなので、それらも檢討の材料として採上げられて良いものだと思ふのですが、如何ですか。
Posted by 野嵜 at 2008年04月24日 21:44
このエントリのタイトルは、あまり長くもできないし、ちょっとショッキングな方が面白かろうと思い、いたずらもかねて少々省略しております。

「昔は(大多数の人がほとんどの手書き文字を)旧字体で書いていた」なんてウソだ!

という意味とご理解ください。

当時は印刷物で文字を覚えちゃう人もいたでしょうし、正岡子規のように『康煕字典』の例示字体が正しいと思いこんじゃう人もいたでしょう。そういう人の書いたものには字典体が紛れ込むこともあるでしょう。文化14年出版された『干禄字書』の影響でしょうか、江戸時代の文書や版本には正字が混ざっています。だからといって「正字体を書いていた」とはいえないとおもいます。それは正字と通字の区別がつかない人の誤解なのです。
で、印刷物の字体と手書きの字体の区別がつかない小供のために戦前の文部省が、手書きの字体に近い活字をわざわざ拵えた。それが戦前の文部省活字です。

上記の本は、新たな誤解を生みかねない、と危惧しています。「印刷用の旧漢字を覚えるためにあえて手書きする」ということわりがあればよかったのですがねえ。

篆書というのは、金属器に鋳込んだり石に彫ったりする文字です。書き文字は下書きです。
人が書くための文字が隷書や楷書などです。

字典体は、篆書の〈字体〉を明朝体という〈書体〉で示したもので、そもそも書くための字体ではありません。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月24日 22:50
>「昔は(大多数の人がほとんどの手書き文字を)旧字体で書いていた」なんてウソだ!

「文字を覚えちゃう」「思いこんじゃう」「紛れ込む」――ちょっと言ひ方が無頓着過ぎますね。そもそも、大熊さんは、御自身の價値判斷に過ぎない事を、恰も常識であるかのやうに言つてゐます。しかし何う考へても嘘です。

>だからといって「正字体を書いていた」とはいえないとおもいます。それは正字と通字の区別がつかない人の誤解なのです。

これこそ誤解です。區別がつくつかないではありません、手書きではそんな事に無頓着である事が自然であつたと云ふだけの話です。だつて、書ければ當座、通用するんですから。でも、それを非難される謂れはありません。口頭でちよつと變な事を言つてもその人が無知だとかさう云ふ事を意味する訣ではないですよね、それと同じです。

漢字でも假名遣でもさうなのですが、「正しい表記」の實施と觀念とを混同して見せる人が非常に多いやうに思はれます。「完全に書けないのだから正しい表記は存在しない」と云ふ極めて曖昧な主張をする人がゐて、大熊さんもその一人ですが、これは「正しい書き方を實行する事」と「觀念として存在する正しい書き方」とを混同した勘違ひです。
「實際に書かれた表記」が過去の實體として何うであつたかは、ただの調査結果として存在し得るに過ぎません。それによつて當爲としての「どのやうに書くべきか」と云ふ主張には即座に直結しません。
昔の人は、當座「正しい書き方」をしなくても、「正しい書き方は存在する」と信じてゐた――さう考へて問題ありません。ただ當座の手間の關係で略字を使つた、さう云ふ事實があるだけです。正式には正字を用ゐるべきである、さう思つてゐたとして何の不思議もありません。

「正しい」と云ふ概念の存在を大熊さんは無視してゐます。「事實として略字を用ゐる書き方があつた」だから「略字を用ゐる書き方をすべきだ」と事實を當爲に何の根據もなく轉化してしまつてゐます。これは間違つた價値判斷です。
大熊さんの主張は出たら目で私は贊成出來ません。
Posted by 野嵜 at 2008年04月25日 00:34
歴史的事實として、國字改革の直前までに、多くの人が正字體を手書きの際にも用ゐるやうに、書き方を變へてゐました。國字改革は、さう云ふ状況下で、それを前提に、印刷字體と手書きの文字とを一擧に簡略化しようとしたものです。
國字改革に反對する立場の我々は、國字改革が生ずる直前の状況に國字の状況を恢復すべき事を主張します。ですから、この本の立場は(本は讀んでゐませんが、大熊さんの御報告を讀む限り)國字改革反對派の立場として正當なものだと言へます。

大熊さんの主張は、國字改革の直前ではなく、更に大昔に時計を卷き戻さうと云ふものです。そこまで反動的な主張には、とても贊同出來ません。
Posted by 野嵜 at 2008年04月25日 00:41
トナンさんは書写体の伝統に反してまで康熙字典体で手書きすべきではない、といわれているだけと理解します。私はこれに賛成します。
そして出版するなら伝統的な明朝印刷体で組版したい、といわれているものと理解します。これも立派な見識であると思います。
私は美しい字を書きたいと思ったら「日本名跡大字典」などを参考にします。これが私にとっての書写体の「正字」です。
Posted by だれかさんに賛成 at 2008年04月25日 04:16
紀元前の秦の国には金属器に鋳込んだり、石に彫ったりするための文字と、人間が筆記するための文字がありました。前者を篆書といい、後者を隷書といいました。
人間が筆記するための文字である隷書は千年の時をかけて研鑽され楷書に至りました。しかし金属器に鋳込んだり、石に彫ったりするための文字を人間が筆記するための文字にするための解釈の違いで数々の異体字を生みました。
唐代に至り、異体字を整理するために千年の研鑽を無視して、篆書の〈字体〉を楷書という〈書体〉にあてはめてつくった文字、それを正字といいます。
正字ができて一時はそれに影響される人もいましたが、やはり人間が筆記するには適さない文字なので、筆記に適した伝統的な文字が使われ、正字はほとんど使われなくなりました。
さらに数百年が過ぎ、清の康煕帝の時代になって篆書の〈字体〉を明朝体という〈書体〉にあてはめた文字が『康煕字典』という字書の親字に使われました。『康煕字典』には「この親字を使え」、ということは書いてありません。楷書で書かれた序文は正字でななく、伝統的な筆記用の楷書が使われています。
維新後の日本は、この『康煕字典』の親字を印刷用の字体に採用します。実際には字体統一がなされてこれを「いわゆる康煕字典体」といいますが。
この時点では、筆記用の字体と印刷用の字体は別でした。ところが印刷物で文字を覚えた人、筆記用の字体と印刷用の字体を混同する人が出現します。このような人の多くは筆記用の字体と印刷用の字体を混ぜて使っています。
これの打開策として文部省は筆記用の字体に近い活字をわざわざ拵えて国定教科書に使います。これが文部省活字です。

印刷用の文字と筆記用の文字の2種類があるのですから、組み合わせは4通りあります。

1)印刷用の文字と筆記用の文字を使い分ける。
2)筆記にも印刷用の文字を使う。
3)印刷にも筆記用の文字を使う。
4)印刷用と筆記用を混ぜて使う。

1)は僕が理想とするものです。これには印刷用と筆記用の2種類を学ぶ必要があります。
2)はたぶん上記の本の著者が希望するものでしょう。
3)は現在の国語政策が実行しているものです。(当用漢字、常用漢字の字体には伝統的な筆記文字の字体としておかしなものもありますが)
4)は野嵜さんが良しとするものでしょうか。

僕の理想は1)です。「いわゆる康煕字典体」の明朝体も、洗練された筆記字体もともに美しいですから。印刷用と筆記用(異体字も含む)を同じ字種であることを認識し、かつ使い分ける能力を「文字を渡る」といいます。
で、1)が実現できない場合は2)〜4)のうちどれが良いか。僕は3)が良いとおもいます。その次が4)です。2)の「いわゆる康煕字典体」を筆記するのは僕には無理です。たとえば「藏」の左の鍵型に曲がった所は楷書でどう書けばよいのでしょうか。これは篆書で書くべき字体です。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月25日 04:25
ところで『日本名跡大字典』つて鉛筆書きの字は載つてゐましたつけ? 『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』が「旧漢字をエンピツでなぞって書く」ものであるのですから、それを否定したければ、鉛筆書きにおいて略字が正統であつた事を大熊さんは御示しになる必要があると思ひます。

あと、大熊さんは手書きにおいて「理想」と言つてをられますが、そんな理想を實際の運用に於て何時如何なる場合にも例外ナシに實現しなければならないと御考へですか。さうでないのなら、「理想」と仰るのは無意味です。
また、私の立場に就いて「良しとするもの」と仰つてゐますが、それは大熊さんの「理想」と對置して考へて良いものでせうか。良くないと思ひますので指摘させていただきます。
と言ふか、私はそもそも「印刷用の文字と筆記用の文字の2種類がある」と云ふ大熊さんの主張を認めてゐません。と言ふか、この場合の「文字」の意味が全く理解出來ません。「塩」も「鹽」も同じ文字です。

そもそも、大熊さんが仰る「筆記用の文字」とは具體的に何んな文字セットですか。「手書き」とは、筆で書く事ですか、鉛筆で書く事も含むのですか。書體とは又別の話ですか、それとも關係があるのですか。「鹽」を使つた手書きの事例が擧がつてゐますが、それを大熊さんは認めるのですか、認めないのですか。草體の事例が擧がつてゐますが、それを使ふべきだと主張なさるのですか、さうではないのですか。抽象的に「筆記用の文字」と言はれても全然理解出來ません。『日本名跡大字典』だけが基準で、同書に載つてゐないその他一切の具體的な文献資料は徹底的に無視すべきだと御考へですか、それともさうではないのですか。

と言ふか、そもそも「正字體」の定義が、大熊さんは過去の「康煕字典體」の類、私の場合、研究によつて明かになつたあるべき字體、と、異つてゐます。話が全然噛合つてゐません。
もちろん、正字體を決定する間、當座、康煕字典の字體を基準にする、と云ふ考へ方はありますが、金科玉條的に「それだけに拘泥する」と云ふ發想は私は採りません。「旧字体」と云ふ言ひ方、これは萩野氏が以前から戰略的に採用してゐる言ひ方で、私は全く贊同しないのですが、氏の考へる正字體も、結局のところ、私の考へるものと同じである筈です。

國語問題協議會の内部でも字體についての議論は行はれてをり、ただ、國語改革に反對し、歴史の流れを正常化しようと云ふ立場がある爲、國語改革が行はれた時點の國語の状態に戻す事を、我々は主張してゐます。私と萩野氏の考へ方の間にはそれほどの違ひはない筈です。昭和二十年の時點で、或はその前後の時點で、國語改革の影響を除いて、國語があつた自然な状態が、私にしても萩野氏にしても、當面「戻すべき地點」であり、萩野氏も著書ではさう云ふ立場をとつてゐる筈です。
逆に言へば、大熊さんの主張では、「どの時點まで戻す」と云ふ事がすつぽり拔けてゐます。抽象的に「手書きの文字」と言つてをられますが、それでは全然解りませんよ。理窟では實にはつきりしてゐるやうに見え、だから多くの人が大熊さんの威勢の良い意見に騙されるのですが、具體的に運用するとしたら、大熊さんの主張では全然やつて行けません。楷書への整理についても大熊さんは反對の立場なのですから、それ以前に書き方を戻すべきなのか、それも明かではないのです。私には大熊さんの主張は言語明瞭意味不明の類にしか見えません。もつとわかりやすく説明して下さい。
Posted by 野嵜 at 2008年04月25日 20:33
あと、大熊さんは、全ての「正字體」を「書けない」と仰るのでせうか。それこそ嘘でせう。

「教」の左側は本來「爻」で千木のある建物を意味してゐます。これが今は十字架が乘つてゐますけれども、笑ひ、これ、國字改革の際に「字體整理」の目的で變へられてしまつたものですね。
斯う云ふ「略字體」(?)を大熊さんは全面的に支持し、「手書き」の際にはさう書くべきだ、と主張されるのでせうか。さうではないとしたら、大熊さんは「旧字体」で書くべきだ、と主張する事になります。
「歩」、これなんかは「當用漢字」が「略字體」と主張出來なかつた原因なのですが、大熊さんは「手書き」の際にどのやうに書くべきだと御考へなのですか。

大熊さんの主張は、論理的にはすつきりしてゐるやうに見えますけれども、具體的に考へると問題が大量にあります。その邊の事をどのやうに解決しようと大熊さんは御考へであるのか、はつきりさせていただけませんでせうか。
Posted by 野嵜 at 2008年04月25日 20:45
と言ふか、「正字體」は「康煕字典體」だ、と云ふ定義は、「正字體」の主張を封じ込める目的で國字改革推進派が強調してゐるやうに思はれます。その所爲で正字正かな派がトンデモ扱ひされるやうになつて、萩野氏が「旧字体」と言はざるを得なくなつてゐるのですが、これは困つた事です。專門家が專門用語を操作して、特定のイデオロギーを實施するのを支援する、それはあつてはならない事ですが、戰後の日本ではそれが一般的であるやうに思はれます。「正字」=「康煕字典體」と極附けるのは、有害ですから、絶對にやめるべきです。
Posted by 野嵜 at 2008年04月25日 20:51
伝統的筆記体と略字はちがいます。
「會」を「会」とするのが略字。
「會」の中の点二つを横線一本で書くのが伝統的筆記体。
そういう違いです。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月25日 22:16
その「伝統的筆記体」とは一體何んな典據・どのやうな理論に基いたものなのですか。それを知るには何を參照すれば良いですか。具體的に御指導願ひます。
Posted by 野嵜 at 2008年04月26日 01:17
少し前のコメントでトナンさんは「蔵」の旧字体について書いてらっしゃいましたが、たとえば江守賢治氏の『楷行草 筆順・字体辞典』中に美しい楷書で毛筆とペン字で書かれていたりします。
実は、この江守賢治氏は極端な嫌康煕字典派、且つ嫌顔真卿派の人なのですよね。字体辞典の中では、強いて書くならこんな感じだと念を押していたりします。
トナンさんもこの人の『解説 字体辞典』に相当影響されてますよね (^^; 私もこれを読んで、なるほどなあと思い、それまで干禄字書や康煕字典の字を書いていたのが、トナンさんの言う伝統的筆記体を書くようにもなりました。

話は飛びますが、台湾の國字標準字體というのもまた漢字への異なる考え方が垣間見れて面白いですよ。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%8B%E5%AD%97%E6%A8%99%E6%BA%96%E5%AD%97%E9%AB%94
ますます混乱してきます (^^;
Posted by 通りすがり2 at 2008年04月26日 02:50
ふうん、おもしろいなあ。

野嵜さんが〈私はそもそも「印刷用の文字と筆記用の文字の2種類がある」と云ふ大熊さんの主張を認めてゐません。〉と主張されているのはわかりました。

そこまで主張されるからには、まず野嵜さんおっしゃるところの「正字體」なるものが具体的にどんな文字なのか、そしてそれが明確かつ広範なな規範性をもって流通されていた確かな根拠をお示しいただきたいと願いのは、私だけでしょうか。

おっしゃりようから忖度するに、寡聞にして私は知りませんでしたが、それは「○×漢字表」のように、なんからの形で流布されているもののように想像されます。そうでなければ規範として広範な人々の間で流通しようがありませんからね。まさかどこの誰ともしれない人間が書いた(そして検証もできない)片々たる私文書の類を根拠としている訳ではないでしょう?

そろそろコメント欄をスクロールするのは疲れてきたので、ぜひご自分のブログで主張を展開されることを希望します。
Posted by だれかさん at 2008年04月26日 03:04
私と大熊さんとは根本的に發想が異りますから、大熊さんが要求されるべき事と私が要求されるべき事とは異りますし、異るのが當然です。

私は現實主義者ですから、片々たる私文書の山こそが日本人が正字體で手書きしようとした決定的な證據であると斷定します。また、正字體は理想的なものですから、固定的な漢字表のやうなものは存在しなくても全然問題はありません。何しろ言葉は變はるものですから、そんな固定的な規範には存在して貰つても困る訣です。もつとも敗戰直前には結構研究が進んで、社會的に一定の諒解は取れてゐた筈です。もちろん私は印刷字體と手書きの字體を殊さら區別する必要を認めない立場ですから、印刷された本の版面が大體同じで、また、翩翩たるし文書の山に見られる文字の字體が大體同じである事から、さう云ふ状況であつたと確信してゐます。大熊さんは、その邊の現實の状況について指摘されても全く無視されてゐるやうですが、私はそれを無視してしまふ事こそ大變危險だと考へます。

一方の大熊さんは、理想主義者ですから、何んな文献があらうとも、自分の理想に合致した證據だけが證據だと信じてゐます。また、現實に「伝統的筆記体」があると主張し、「会」の字を例に舉げて具體的にその種の規範があると言つてゐるのだから、體系的で固定的な漢字表があると信じてをられる筈です。ところがそれがさつぱりわからない。その「伝統的筆記体」を運用するとしたら、我々は具體的に何を參照すれば良いのか。理論的には、何處まで歴史を遡れば良いのか、その遡るべき時點はどのやうにして決定してゐるのか。上の『日本名跡大字典』の畫像を見れば、大熊さんは平安以前の書を重視してをられる御樣子。また、徹底的に印刷字體と手書きの字體とを分離したいと云ふのが大熊さんの主張である訣で、印刷字體=康煕字典體であり、康煕字典體は誤つてゐると云ふのも大熊さんの主張であり、篆書・隷書を高く評價してゐるのも大熊さんの主張です。さうなると何處までも何處までも昔に遡りたいと云ふのが大熊さんの主張でないかと推測したくなるのですが、ところが大熊さんは甲骨文・金石文の文字について言及していらつしやらない。これが奇妙です。白川靜によれば既に篆書・隷書の時點で誤が入り込んでゐるとの事で、正確さを求めるならばそれより前に遡らなければならない筈ですが。
「伝統的筆記体」は略字ではない、との主張があるのですが、その「伝統的筆記体」は果して傳統として現代にまで――國字改革の實施直前まで――存在したのか。底まで遡るべき理由は何か。その邊が大熊さんの説明では、兔に角ぶつきらぼう過ぎて、全然わからないのです。ほかの通りすがりの方とか誰かさんとかは良く御解りのやうで、それで私を小馬鹿にされてゐるのでせうが、もし本當に解つてゐると言ふのなら、ちやんと教へてはいただけないでせうか。私を批判したところで、それだけで大熊さんの主張がはつきりする訣ではない――それどころかどんどん曖昧になりつゝあるのですから。
Posted by 野嵜 at 2008年04月26日 15:13
と言ふか、萩野氏の本を見れば、具體的に正字體が載つてゐますけれども?
實際に使はれてゐたか何うかよりも、表の類があつたか何うかが重要、と云ふ發想そのものもちよつと何うかと。
Posted by 野嵜 at 2008年04月26日 15:52
# あ、私は「通りすがり」さんではありません。

正字の定義が云々はおいといて、一般庶民はどのような字を書いていたか、というのがまず論じるべき点でしょうか。
私が「伝統的筆記体」として認識しているのは、あくまでも江守賢治氏の著作の中の印影、及び数々の書道の楷書の法帖、それから明治生れの祖父や祖母などが残してくれた自筆の文書、手紙などの私文書、などでしょうか。もしかしたら、野嵜さんの所有する私文書より少ないかもしれません。なので、トナンさんの言う「伝統的筆記体」というものが、果して明治大正昭和と実際に大多数の一般庶民が書いていた字なのかどうか、あまり自信が無いところです。
ですので、トナンさんも野嵜さんも否定しようとは思っていません。
ただ、江守賢治氏の著作は強烈で、かつ、たしかに私の周りにある私文書ではその著作に近い字体が書かれているものですから、トナンさんのいう「伝統的筆記体」というのはおそらくそれのことだろうと思っているだけのことです。
実際、どうなんでしょうね。何か分かり易い統計的な証拠があればよいのですが。
Posted by 通りすがり2 at 2008年04月26日 20:34
用語の整理をします。

【正字】「干禄字書」で「正」とされている字体。「五経文字」「九経字様」「開成石経」に刻まれている字体。『説文解字』の小篆の字体を楷書体に改めることで新しく造字されたものも含む。
【康煕字典体】「康煕字典」の親字に示された字体。『説文解字』の小篆の字体を明朝体に改めることで新しく造字されたものも含む。
【いわゆる康煕字典体】「康煕字典」の親字を元にしながら、「康煕字典」の不統一を修正した明朝体。日本に於いて正字といえばこれを指す場合が多いようだ。
【新字体】1949年の「当用漢字字体表」で「いわゆる康煕字典体」から変更して、新しく採用した字体。
【旧字体】「いわゆる康煕字典体」のうち、1949年の「当用漢字字体表」ではずされた字体。
【伝統的筆記字体】「干禄字書」で「通」とされている字体および、「正」と「通」の区別のない字体。手書きで書かれてきた字体。

※【旧字体】の中には明治以降採用された字体があり、【新字体】の中には【いわゆる康煕字典体】よりも古くから書かれてきた字体もある。

「明治以降採用された印刷用字体」「手書きになじまない字体」は書かない、ということを言いたかったのですが、【旧字体】と【伝統的筆記字体】で差がない字体もあるために、誤解を生んだのだとおもいます。

不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。

「明治以降採用された字体」「手書きになじまない字体」については、江守賢治さんの著書などをご覧ください。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月27日 00:10
手書き文字は実用のためのものですから、おのずと運筆は書きやすくなるように変わり、同じ部分を持つ文字は、形も揃うようになってきます。
「手書きになじまない字体」のまま「手書き文字の書体」として活字になり、教科書にも混乱を与えています。どの書体も、ただ明朝体の形をなぞっただけの字になっているのは困りモノです。
よく「チャーハン」と「ギョウザ」は揃って出てこないといいますが、わざわざ形を違えて覚える必要はないでしょうに。
Posted by Mighty at 2008年04月27日 08:52
野嵜さんは誤解などしていないとおもいます。なにか独特の正字観をおもちなのでしょう。
--「昔は伝統的筆記体で書いていた」なんてウソだ!--内で反証を挙げておいでですが、なんだかわかりません。

「拂」「學」も伝統的な筆記体です。(「學」は上部が××の形ではない、筆記体独特の形にみえます)
安田太郎氏の手書き文でも、「縣」「氣」「營」「廣」は伝統的な筆記体です。(「廣」は「廿」と「寅のウカンムリなし」ではなく、「黄」と書いています)
また「晴」は「円」ではなく「月」に書いています。
「呉」は全くの伝統的な筆記体です。

「昔は伝統的筆記体で書いていた」の補強証拠になってしまっているように見えます。

Posted by だれかさんに賛成 at 2008年04月27日 17:00
http://tonan.seesaa.net/article/94821274.html

明治以降の「筆記体」の例として大熊氏は「当用漢字字体表」の文字を掲げてゐますね。

>「拂」「學」も伝統的な筆記体です。

いづれも大熊氏の考へる明治以降の「筆記体」ではないらしいですね。常識的に言つて「拂」「學」も正字體であり新字体・略字體ではありません。大熊氏も、「当用漢字字体表」の字體こそが「筆記体」であると主張されてゐるのです。だれかさんに贊成さんは、誰に賛成してをられるのでせうか。訣がわかりませんね。
と言ふか、俺の主張を非難しても仕方がないでせう。話を逸らして大熊氏の誤を糊塗しようとしてゐるやうにしか見えません。

また、無想庵の「道」は、之繞の點がありませんけれども、これは一體何う解釋すれば良いのでせうか。俺は常識的に、手書きなのだから當座、人はそれつぽく適當に書くもので、そこに理想的な書き方も何もないと判斷しますけれども、大熊氏その他の人々にはそれがあるやうに思はれるんださうですね。

大體、規範意識の意識なしに規範のシステムの事だけを考へるから、國字問題の話は何でもかんでもをかしくなるんです。
文字の專門家の先生が仰る事は素人には理解できない事許りで困つたものですが、システム構築の話許り考へてゐれば現實離れした訣のわからん話になるのは當り前です。しかし、大熊氏は專門家の割に、知識がないやうで、にもかかはらず自分の思ひ込みに基いて現實を歪曲してしまつたり、ちよつと何うかと思ひますね。
Posted by 野嵜 at 2008年04月27日 19:07
また漢字の問題だけを論じてゐるやうですけれども、日本語にはかなと云ふ文字もあつて、これもまたいろいろ問題がある訣ですけれども、大熊氏の發想を認めるならば變體假名とか合字とかを筆記で認めるべきかとか印刷で何うすべきかとか大問題になるんですよ。

さらに、それらを實施するとしたら教育の場で何うすべきかと云ふ問題もあります。「印刷字体」と「伝統的筆記体」との完全な分離を主張するのも、論理的には一見容易さうですが、教育を何うするかと言つた問題はさうさう簡單に解決しないでせう。
そもそも手書きの字體にしても、歴史の流れの中で筆記具もまた變化してゐると云ふ事情を考慮する必要があります。筆で書いてゐた時代と、ペンや鉛筆で書く時代とで、單純に同じ字體を用ゐるものなのか、用ゐるべきものなのか。
また、現代の問題で言へば、縱書きから横書きに書字方向が變化しつゝある事も檢討すべき事となります。

「伝統的筆記体」は、筆で縱に書いてゐた時代には「あつた」と言へるかも知れません。けれども、明治以降、最早それ以前の仕方と手書きの仕方は變化してゐるのです。そこで依然として單純に「伝統的筆記体」等と言ふ事が出來るのか。

――しかし、大熊氏の認識で、「当用漢字字体表」の字體が「伝統的筆記体」であるのです。あれのどこが「伝統的」なのか――國字改革推進派の認識は異常ですが、それを異常と認識出來ないのだから大熊氏の認識も異常で、「伝統的筆記体」理論も出たら目なものだと言はざるを得ません。これ以上話を續ける價値もないやうに思はれます。
大體、きちんと議論しようとして長く書くと「迷惑」だと言出す人が出て來る訣ですし。迷惑である事それ自體、何時如何なる場合にも例外なしに惡であると云ふ訣でもないのだがとか言つても話通じないでせうし。
Posted by 野嵜 at 2008年04月27日 19:23
あと。

>「拂」「學」も伝統的な筆記体です。

さう言つて良いのなら、これらの字體で教へてゐる萩野氏を大熊氏が非難してゐる事はをかしいと言はざるを得ない訣ですよ。結局のところ大熊氏を擁護してゐる人も大熊氏の言つてゐる事がわからないんです。俺も勿論訣が解らない。

大熊氏のこの記事、結局のところ「釣り」なんでせうけれども、しかし、これ以降の記事がひたすら「正字」への侮辱行爲であるのは何なのだらう。
Posted by 野嵜 at 2008年04月27日 19:32
トナン氏の言う「伝統的筆記体」は「当用漢字字体表」ではないでしょう。彼の言うところの「伝統的筆記体」は、その資料として挙げているところからも、明治時代以前の話がコアであると私は思います。というか、明治時代以降についてはあまり考慮されていないだけのことだと思っていますが、違うのでしょうか?
Posted by 通りすがり2 at 2008年04月27日 22:57
野嵜さんに求められているのは、他の人への批判などではなく、まずご自分の主張の正しさを証明することであるように思います。

野嵜さんのご主張は「昭和21年以前は、大勢の人々が康熙字典体を手書きにも使っていた――社会的実態として印刷字体と手書き字体は区別されていなかった」というものであると理解しましたが、ならばそのエビデンスをお示しいただけませんか。

べつに漢字表の類でなくてもいいし、私文書の山でももちろん結構。ただし元々雲霞のごとく存在する節用集中の一本だけとか、数枚の文書などでは証明になりません。ある時代に広範な人々がそのように使っていたという確かな証拠、それを示していただけないと話がすすみません。

ところで話はそれますが、「訳」(わけ)の代わりに「訣」(けつ)を使うのも野嵜さん流の「正字體」なのでしょうか?
Posted by だれかさん at 2008年04月28日 00:30
「だれかさんに賛成」とはこのコメント4番目の発言者「だれかさん」の意見に賛成するという意味です。
私の言いたいことは最初の私の発言で尽きています。
しんにょうを無点に行書で書いているのに文句をつける人に初めてお会いしました。
明治以降だって手書きの手本はそれ以前と変わりません。ただ明朝活字体が普及するに従い、これを真似て書く人が出たことは確かです。(改説前の正岡子規のようにこれが正しいと信じた人もいます)
もし萩野氏が「廣」や「晴」を康煕字典体に忠実に書くのを推奨している乃至はそうとれるならば、非難する人があっておかしくはありません。
(「廣」を「マダレ」に「黄」と書いているならばトナンさんは誉めるでしょう)

Posted by だれかさんに賛成 at 2008年04月28日 08:17
まず、このエントリーのタイトルが刺激が強すぎました。もっとやんわりとしたタイトルだったら、さらに有意義な意見交換ができたのかもしれないと反省しきりです。

「印刷用と書き文字の字体の区別はない」というご意見はたいへん新鮮でした。
「昔」の認識が違うようです。僕は2000年のスパンで「昔」と考えているのですが、野嵜さんの考えておられる「昔」は明治期から昭和初期のことのようです。
「正字」についての認識も異なるようです。

異なる意見は異なったままでよろしいとおもいます。異なった意見も尊重します。

やや殺伐としてハラハラしましたが、大変参考になりました。

なお、上記の本は「印刷用と書き文字の字体の区別はない」という考え方を前提にして読めば大変良い本だとおもいます。著者もそういうお考えなのでしょう。
Posted by 大熊肇(トナン) at 2008年04月28日 23:01
前々回発言のうち「『呉』は全くの伝統的な筆記体です。」の部分は取り消します。
「呉」を「口」と「天」の形に書いていると判断しましたが、今見返すと不鮮明のためそうとも言い切れません。
安田太郎氏の名誉にかかわるかもしれませんので最後に訂正させていただきます。
Posted by だれかさんに賛成 at 2008年04月30日 05:46
遅ればせのコメントで、その後ずいぶん認識の発展もおありだと思いますので、単なる感想です。

「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!というタイトルへのコメントとしては、基本的に野嵜さんの言われることが正しいのでしょう。戦前は小学校で旧字体を教えていたわけですから、当然手書きでもそれが書かれていたはずです。「解説字体辞典」に文部省活字が載せられていますが、基本的に旧字体ですね。

亡母の若い頃(戦前)の日記があるのですが、やはり「辨當」「國語」「音樂」「お晝」「來られ」などと書いています。

ところが一概にそうとも言えないので、「図畫」「帰る」「体操」「営む」「変な」「黙る」等、今と同じ字もよく書いています。「會」と書く場合にも、中を「田」の形で書いています。

なによりも、全体としての印象が、読んでいてそれほど違和感を感じません。70年から80年前の母の日記の方が、上の野嵜さんの文章よりはるかに(字面として)読みやすいのです。

近々「歸國」という倉本聰さんのテレビドラマがあるそうです。倉本さんはタイトルについて「当時はその字しか知らなかったから」と述べておられるそうですが、実際にはそんなことはありませんね。「歸國」の方が昔の戦争の時代のイメージに似つかわしいのは確かですが。
Posted by 葛の葉 at 2010年07月20日 13:09
新字体というのは「手書きの字体を印刷に取り入れた字体」です。
印刷用には「新字体」と「旧字体」がありますが、手書きの字には「新字体」も「旧字体」もありません。
印刷でいうところの「新字体」は手書きではずっと前から書いてきたものですから新しいものではありません。
Posted by 大熊図南 at 2010年07月26日 22:38
おっしゃる意味は、以下のようなことかと思います。

たとえば「眞」と「真」を例にとると、(近代の)印刷用には専ら「眞」が使われ「真」が使われることはなかった。よって、「真」は新字体である。
一方手書きでは「眞」も「真」も使われていた。歴史的には「真」の方が古くから使われていた。よって、「真」は新字体と言えない。

その他、一般に新字体と呼ばれているものは、手書きでは以前から使われていたものなので、新字体とは言えない。

そう言う意味で言われるのだと思いますが、一般的な受け取り方は少し違うでしょう。

当用漢字が制定されるまでは、学校教育や公用正式文書では「眞」が使われていた。しかし当用漢字制定以後それは「旧字体」とされ、「真」が学校教育や公用正式文書で使われるようになった。そう言う意味で、「真」は印刷でも手書きでもやはり「新字体」である。要するに「新字体」か「旧字体」かは漢字の歴史の問題ではなくて、当用漢字以前と以後の比較に過ぎないと言うことです。

なお、この記事で言えば、

手書きでは「塩」と書かれていた。
手書きでは「真」と書いていた。

上記は、「塩」とも書かれていた、「真」とも書いていた、とすべきでしょう。当用漢字以前と以後で手書きの文字に変化がなかったような言い方は誤解を招きます。
(もしかして書道の世界ではそうだったのかも知れませんが、それならそのように限定すべきでしょう)

「当用漢字字体表の発表前には」と時代を限定しながら、いきなり『日本名跡大字典』を持ち出してもしかたがないわけです。一般人はやはり基本的に学校で習った「旧字体」を手書きしていたというのが、一般的な言い方になると思います。

もちろん、「しんにゅう」の書き方には旧字体も新字体もないとか、個別の情報は大事なことです。「新字体」になって、活字では変更が必要になったが、手書きは何ら変える必要がないという例もけっこう多いのではないかと思います。

ある意味では、そういう「手書きの常識」が失われていくことが一番問題なのかも知れません。
Posted by 葛の葉 at 2010年07月27日 15:18
葛の葉さま。
諒解しました。
Posted by 大熊図南 at 2010年07月27日 17:55
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「手書き文字」あれこれ
Excerpt: tonan's blog: 「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ! http://tonan.seesaa.net/article/94263474.html 「手書き文字」につい..
Weblog: 闇黒日記2.0
Tracked: 2008-04-25 21:22

「昔は伝統的筆記体で書いていた」なんてウソだ!
Excerpt: この記事のタイトルは、本當の事を端的に示してゐるものです。別に煽る積りも必要もありませんから。大熊氏の言つてゐる事が出たら目なのは火を見るよりも明かな事實。 http://tonan.seesa..
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書道三体字典―日用版
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