2012年11月04日

【匚】匡匠匪【匸】区匹


121104jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【匡】南北朝期以降は「主+L」の字体が多数派。
【匠】中国の南北朝から日本の中世まで「匚」の「L」を「辶」と誤った字体が多数派。
【匹】「L」を「辶」と誤った字体がある。江戸版本に「区」の字体がある。現代中国では「疋」と「匹」を統合して「匹」のみを使う。
posted by トナン at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

【勹】包【匕】化北匙【匚】匝


121027jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【包】正字は「包」で、隷書でも「包」。唐代以降は「包」「包」どちらの字体も書かれてきた。当用漢字表では「包」だが当用漢字字体表で「包」に変更された。変更する必要があったのだろうか。当用漢字字体表の発表時点で岩田母型に「包」の字体はなかった。
【化】古代の文字および説文篆文に照らせば「化」ではなく「化」が正字であり、手書きでも正字が多く書かれてきた。康煕字典の字体は不自然。
【北】手書き書体で、偏の縦線が下に突き出ることはない。正字体の多い文部省活字でさえ偏の縦線は下に出ていない。当用漢字字体表の字体は康煕字典など明朝体の字体である。
【匝】「帀」が元の字らしい。南北朝期に「帀」に「しんにょう」が加わった異体字が現れる。「匝」は「しんにょう」を「L」のように書いたものと「帀」の1画目の横線とが合体して「匚」と解釈されたものだろう。
※字体が正しく表示されていないかもしれません。上の画像を拡大してご覧ください。
posted by トナン at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

【勹】勺勾匂勿匁


121024jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【勾】もとは「句」の異体字だったようである。干禄字書は「勾」を〈通〉、「句」を〈正〉としている。「勾配」の「勾」という用法は江戸期になって見られる。江戸期には「句」の「口」を点とする字体の使い分けも現れる。江戸期は「句」と「勺」の字体が衝突する。北魏では「句」の字種として「勾」の字体を使うことが圧倒的多数派だが唐代になると「勾」の字体は見えず、「句」に統一されている。法華義疏は「勾」の字体を書いているので唐代よりも古い時代の字体の影響を受けていると思われる。
【匂】国字。平安時代以降に使用例が確認できる。小野道風「屏風土台」では「勾」の字体を書いている。
【匁】国字。江戸時代以降に使用例が確認できる。文部省活字では「夂」の部首に分類されている。2010年に常用漢字からはずされ人名用漢字になった。
posted by トナン at 14:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月01日

【力】勝募勧勢勲


121001jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【勝】干禄字書で偏の「月」の中が横線なのを五経文字で点に訂正している。康煕字典も文部省活字も同様に点。当用漢字表もこの図版でははっきりしないが点であったとされる。
【募】康煕字典ではくさかんむりが4画。
【勢】説文篆文にはなく、新附で追加された。左上の部分に様々な字体がある。
【勲】「員」に従う字体があり、後にもまれに書かれることがある。
posted by トナン at 00:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月22日

【力】勁勉勉勘動務勤


120924jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大できます。
※小駒さんからご指摘のあった誤りを訂正しました(2012/09/24)。

【勉/勉】中国では昔も今も正字も慣用字体もすべて「勉」。康煕字典にも「勉」はあるが「勉」はない。「勉」が現れるのは日本の江戸期だが、草書は「勉」をくずした字体。漱石も江戸期と同じ。当用漢字表は「勉」で、当用漢字字体表で「勉」に変更。当用漢字字体表の発表時、岩田母型製造所には「勉」の字体の母型はなかった。
【勘】説文にはなく新附で追加された。新附と五経文字では「甘+匹+力」の字体だが康煕字典はそれに従っていない。偏の2本の縦線のうち、左の縦線を上に出さない字体が平安から江戸にかけて見られる。
【務】「力」を下部中央に書く移構の文字が日本にはある。「攴」は「攵」に変化するが「夂」に誤ることがある。弘道軒が「夂」に誤った字体。現代中国も「夂」の字体。
posted by トナン at 23:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月02日

【力】劾効勅勃勇


120902jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【劾】武威漢簡では旁が「刀」。干禄字書では旁が「刃」の字体が〈通〉。干禄字書と五経文字では偏の最終2画が異なる。
【効】古くは「交+攴」だったようだ。後漢代には「攴」は略されて「攵」になっている。南北朝期には「効」が現れる。干禄字書では「効」と「效」の意味の使い分けが書いてあり、別字という扱いになっているが、九経字様では「效」が親字で「効」は訛、つまり異体字としている。その九経字様にしても旁は「攴」の略体の「攵」が採用されている。欧陽詢は皇甫誕碑で「効」を九成宮醴泉銘で「效」を書いている。日本では上代は「效」の使用例があるが、中世以降は使用例が見えない。康煕字典には「効」と「效」の両方が載っているが、「效」の旁は「攴」ではなく「攵」だ。現代中国は「効」と「效」の両方があり、統合されていない。
【勅】古代の文字を見ると、旁は「力」のものと「攴」のものの両方があるようだ。説文篆文には「攴」のものしか掲載されていない。そのため五経文字でも正字は「敕」。偏は漢代あたりから「束」ではなく「来(來)」が書かれる。康煕字典には4種類の字体が掲載されている。
posted by トナン at 23:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月27日

【力】劫助努励労


120827jitai.jpg
※画像をクリックすると大きな画像をご覧いただけます。

【劫】干禄字書は「劫」を〈通〉、「刧」を〈正〉としている。五経文字は「劫」を示し解説に「……従刀者本之或體今経典並従力」とある。古代に或体の例はみつからないが、後漢の武氏祠画像題字に旁を「刂」とする例がある。
【助】古代から偏の一番下の横線を旁の下まで伸ばす字体があった。草書にもその字体によるものがあるが、草書では偏の一番下の横線を最後に書く。南北朝期は偏を「目」とした。五経文字に「従目訛」とある。日本でも偏を「目」とする霊が多数派で、漱石も太宰もその字体を書いている。
【努】古い使用例がみつからない。中国で最も古い使用例が孫過庭の「書譜」で7世紀末。日本での最古の使用例は「美努丘萬墓誌」で8世紀の初め。篆書や隷書では「怒」を使う。
【励】「勵」の「萬」を「万」にかえた字体。中国では宋代の印刷本に使われているが、書道字典には見えない。日本では江戸時代に多く使われる。弘道軒には「励」の字体しかない。説文篆文では「勱」の字体のみ掲載。五経文字にも「勱」だけが掲載。康煕字典には「勵」と「勱」が異体字では無く別々に掲載されている。
【労】「火」二つを点三つに略すのは江戸時代から。
posted by トナン at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

【刀】劍【力】力加功劣


120810jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大します。

【𠝏】当用漢字字体表から現在の常用漢字まで使われている「剣」は江戸時代に一般化された字体らしい。中国では清代が最初か。ただし、「剣」の偏の字体は鎌倉時代の墨流本朗詠にある。中国では宋代の印刷本にある。当用漢字字体表が発表された時点で、岩田母型製造所には「剣」の字体の母型はなく、印刷字体としては一般的ではなかったようだが、弘道軒清朝にはある。いつ作られたものだろうか。
【功】南北朝期は、旁を「刀」とする字体が多数派。これは書聖といわれる王羲之が誤字を書いた影響ではないだろうか。旁を「刀」とする字体を干禄字書は〈通〉としているが、五経文字では〈訛〉と訂正している。
posted by トナン at 12:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月30日

【刀】創劇劉


120730jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大表示されます。

【劉】元は「金+留」だったものが「金」に「留」から「田」を省略したものをのせ、「刀」を加えたものが「劉」ということらしい。南北朝期にはたくさんの字体があった。
posted by トナン at 21:16| Comment(1) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

【刀】剥剖剰剩副割


120728jitai.jpg
※画像をクリックすると拡大表示されます。

【割】通用体では偏を「害」ではなく「宀+土+口」を書く。説文の前後の時代の字体を見比べると、説文篆文の字体が特異なようだ。説文に倣った五経文字や康煕字典も特異な字体だ。説文を除いて「割」がはじめて見られるのは、魏の鐘繇の「宣示表」の1例だけ。その後「割」が見えるのは元の馮子振でその後は一般的な字体になる。日本で「割」が見られるのは、平安時代の墨流本朗詠集。
posted by トナン at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月29日

【刀】剣剛剤


jitai120629.jpg

【剣】「剱・劍・劒・劔・釰・釰・釰・釼」などの異体字がある。金文では「金+僉」、睡虎地秦簡では「僉+刀」、説文篆文では「僉+刃」、説文籀文では睡虎地秦簡と同じ「僉+刀」の字体である。つまり篇と旁の左右の位置がかわることはあるが、部品としては必ず「僉」が付き、一方の部品に「金」「刀」「刃」の3種類がある。この4種類の部品による3種類の組み合わせがこの字の基本的な字体のバリエーションである。4つの部品にそれぞれ書き方のバリエーションがあるために異体字が増えてしまったようだ。日本の平安時代初期に「金+刃」の字体が出現するが、これは「僉」を「金」と見間違えた誤字か、あるいは「金+刃」として新たに作られた会意文字であろう。「僉」の部分を現在のように書くようになったのは中国では宋代、日本では鎌倉時代からのようだ。

【剛】最澄が、旁を「寸」とし、空海も灌頂記でこの字体を書き、後に藤原忠親もこの字体を書いている。中国には例のない異体字である。現代中国の字体には偶然かもしれないが古代文字の字体を生かされている。
posted by トナン at 02:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

【刀】刹削前則剃


jitai120604.jpg

【刹】説文には未掲載。新附に「柱也。从刀、未詳。殺省聲。」とある。文部省活字では偏の「ホ」に点がついている。
【前】元は「止」と「舟」を合わせた「歬」の字体らしい。甲骨には「行(十字路の形)」のついたものもある。「歬」に「刀」が加わり、「止」が略体になったものが「前」らしい。あったものが略されるのならわかるのだが、なぜ「刀」が加えられたのかは謎である。説文には別字で「止+舟+刀」の字体の篆文が載っている。これは「剪」という字である。元々「止+舟+刀」の字体なのにさらに「刀」を加えて「剪」となった。こちらもなぜ「刀」が加わったのか謎である。
【則】古代には4種から5種の字体があったようだ。説文では「則(貝+刀)」の字体が正体とされていて、漢代以降もその字体が書かれているから、始皇帝時代に統一された字体は「則(貝+刀)」だったのだろう。ところが権量銘に用いられている字体は「鼎+刀」である。始皇帝は度量衡の統一と文字(字体)の統一をしたといわれるが、まず度量衡の統一をして、後に文字(字体)の統一をしたのだろう。
【剃】南北朝期より古い使用例がみつからない。五経文字には説文篆文に対応する字体が「彡」部に掲載されている。
posted by トナン at 23:42| Comment(5) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

【刀】利券刻刷刺制


jitai96-97.jpg

【刻】一画目は説文篆文、五経文字、康煕字典は共に横線。通用体活字と漢字整理案に異体字がある。康煕字典の古文は根拠を確認できない。
【刺】睡虎地秦簡や漢以降に書かれた字体を見るかぎり、説文篆文の字体は誤りなのではないか。
posted by トナン at 23:40| Comment(4) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月08日

【刀】刑列初判別


120408-1.png

【刑】説文より前の時代は偏が「井」で、後漢の隷書の時代までその字体が使われている。
【初】南北朝から誤って示偏が書かれることが多くなる。法華義疏では偏に「禾」を書いている。江戸版本では示偏が圧倒的で、衣偏の使用例がみつからないほど。漱石は示偏を書いている。法輪寺切は示偏だとしてもおかしな字体。
【判】旁の縦線は唐代まではまっすぐに書き、左に流すものではなかったようだ。左に流している例が確認できるのは北宋。日本でも上代ではまっすぐに書いている。康煕字典はまっすぐだが、現代中国の印刷字体は左に流している。日本の印刷字体ではまっすぐなのと左にながす例が半々くらい。文部省活字も当用漢字表も左に流している。
【別】古代の字を見ると偏は「咼−口」で、馬王堆まではその字体を書いている。九経字様では偏が「咼−口」の字体を説文、「別」を隷省としている。偏の下部を「力」とする字体が南北朝時代からあり、我が国でも上代の王勃詩序はその字体を書き、その後もその字体が優勢。現代中国でも偏の下部を「力」とする。
posted by トナン at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月26日

字体変遷字典 【刀】刈切分刊


111226-4.png

【刈】「刈」「苅」「乂」は異体字。もともとは「乂」でそれに「刀(刂)」がついて「刈」となり、さらに「艸」がついて「苅」になったようだ。「乂」が「ヌ」になる場合が多い。
【切】偏は説文篆文では「七」。干禄字書ではなぜか「土」。九経字様では「七」。通用体では「十」が多い。これは干禄字書では〈通〉、九経字様では〈訛〉とされている。漱石は「土」「七」の両方を書いている。
【分】この字の「刀」は南北朝期あたりに書き順と字体が変わる。草書の書き方の影響を行書、楷書が受けたのだろうか。その字体は干禄字書で〈通〉とされている。この字は文字通り分けるのだから、本来、上部の屋根がくっついてはいけない。くっつく字体は江戸に現れる。そのいけない字体を漱石が踏襲しているが、同時に草書の字体も使っている。
posted by トナン at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月18日

字体変遷字典 【凵】凶凹出凸函【刀】刀刃


111218-1.png

【凹】ほとんどの書道字典には不掲載だが、唯一『五體字類』第三版に「懐素」が掲載されている。
【出】「山」が2つと解する字体は南北朝期に出現するが、この字体は九経字様では「訛」としている。『陸軍幼年学校用字便覧』では「山」の下に「々」を配する字体が掲載されているが、実際の使用例は未見。「山」の下に点を2つ書く例は近世の文書に使用例がある。
【凸】ほとんどの書道字典には不掲載だが、唯一『五體字類』第三版に「宋人」の書として1例掲載されているが、出典が確定できないので本書には載せなかった。
【函】説文篆文には2種の字体がある。1つは「マ+囗+¥」、もう1つは「肉+今」の字体。「マ+囗+¥」と「函」は字体が一致しない。白川静説では「マ+囗+¥」と「函」は元々は別字で、発音が同じために混用されたとする。「肉+今」に合致する字はみつけられない。日本の人名用漢字の字体は康煕字典に由来し、現代中国の字体は唐代の楷書に由来するようだ。
posted by トナン at 15:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

字体変遷字典7-4【几】凡処凧凪凰凱


111124-1.png

【処】説文では「処」を親字として掲げ、「處」を或体(異体字)としている。説文に従えば「処」は「處」の略字ではない。金文にも「処」と思われる字体がある。金文の「処」の左側は「人」だろう。「処」「處」それぞれに正字体と通用体がある。馬王堆の字体が「処」の通用体。五経文字で〈俗〉としている字体が「處」の通用体。漱石は「処」「處」両方の字体を使うが、「処」の使用は「ところ」と訓読みする場合の1度だけ。音読み及び熟語での使用は「處」を使う。
【凱】一部の書道字典には「本は豈」「豈の俗字」などの記述がある。
posted by トナン at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

『字体変遷字典』07-3【冫】凋凍凌凉凛凜凝


111120-1.png

【凍】説文篆文は「冫」だが漢代の武威漢簡、北魏の唐雲墓誌は「氵」に従っており、干禄字書も「氵」を〈正〉とし、「冫」を〈俗〉とする。九経字様では説文篆文に従って「冫」の字体を載せている。我が国では「冫」に従った字体が標準。

【凌】説文篆文には或体があり、現在も字体は或体の系統。通用体では旁を「麦」とすることが多く、文部省の漢字整理案でもこの字体が検討されたことがあった。偏を、誤って「氵」にすることがあるが、「凌」と「淩」は別字。

【凉】「涼」の異体字。説文篆文では偏が「水」で、干禄字書は「涼」を〈正〉とし、「冫+亰」を〈俗〉としている。五経文字に「冫は訛」とある。中国では「氵」が書かれていたが、唐代末以降は「冫」が多くなる。弘道軒の「涼」は「凉」よりも出来が悪い。文部省活字に「凉」「涼」の両方がある。漱石も太宰も手書き原稿では「凉」を書いているが、印刷本では「涼」。「京」は「亰」と書かれることが多い。「亠」を「𠂉」とするのは草書の影響か。現代中国では「凉」に統一。

【凛・凜】旁の下部は「示」か「禾」か。基本的に正字体を示す説文解字、五経文字、康煕字典、文部省活字のうち、康煕字典だけが「示」を採用。現代中国は康煕字典の字体に統合されている。説文篆文は「冫」でなく「疒」。
posted by トナン at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

『字体変遷字典』07-2 【冖】冨【冫】冬冴冶冷准凄


jitai07-2.png

【冨】干禄字書では〈俗〉となっている。正字は「富」。漢代は「穴カンムリ」とする字体があった。
【冴】使用例がみつからない。書道字典に親字さえない。漢和字典には「冱」の異体字とある。
【冶】2011年に人名用漢字から常用漢字に変更になった。
【冷】干禄字書と五経文字の字体は点の方向と最終画の形がちょっと違う。
【准】説文所無。干禄字書では「準」を〈正〉、「准」を〈通〉としている。江戸期にはサンズイに作ることも多い。
【凄】2011年に人名用漢字から常用漢字になった。サンズイの「淒」と異体字。説文にはサンズイの「淒」が載っている。五経文字もサンズイの「淒」を摂っている。日本ではニスイの「凄」。現代中国もニスイの「凄」を摂っている。
posted by トナン at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月14日

『字体変遷字典』07-1「【冂】冒【冖】冗写冠冥」


jitai07-1.png

【冗】多くの場合、漢和字典では「冖」の部に掲載されているが、書道字典では「宀」の部に「宂」の字体で掲載されている。説文篆文に従えば「宂」になるはず。五経文字には「宀」の部に「宂」の字体のみ掲載され、しかも「穴」との違いについて説明されている。康煕字典には「冖」の部に「冗」があり、「宂と同じ」とある。「宀」の部にも「宂」があるが、そこには「冗」についての記述はない。漱石は「宂」と「冗」の両方を書いている。畏るべし漱石。
【写】本来は「宀」の字らしい。「冖」や「臼」を「旧」としたり、「旧」の「日」を「目」としたり、「目」の最終画を横に伸ばして「鳥」っぽくする字体の出現は南北朝期から。当用漢字の字体は手書きでは江戸期から使われている。
【冠】「元」の最終画が右に伸びて「にょう」のようになるのは唐代に入る頃から。南北朝期までは「元」の最終画は短くはねていた。それが「礻」に間違われ、さらに「衤」に誤った字体がある。日本上代には「寸」を「刂」とする字体があるが、江戸期の版本には見えない。
【冥】2011年に人名用漢字から常用漢字に出世した字。隷書の時代に「冖」の他に「穴」が出現。南北朝期に「宀」が出現。説文篆文に倣えば「冖」が正字体。
posted by トナン at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 字体変遷字典(大熊肇試作) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする