2009年08月09日

『漢字整理案』「許容体案」16頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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【銭】聖武天皇がこれに近い字体を書いている。
【鏤】旁の上部がなぜ「米」になるかというと「口」が点2つの「い」のような形になるから。
【鉄】漢和辞典には、「鐵」とは別字だったものが混用された、とあるが、ボクは異体字の「銕」をくずしてできたものではないかとおもう。

2009年07月29日

『漢字整理案』「許容体案」15頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「賎」は「賤」の草書の字体。「践」も同様。
「輕」は正字で許容体案は通用体。唐代の楷書では許容体案の字体を書く。
「轟」の許容体案は江戸時代には頻繁に使われた略字。「澁―渋」と同様の略し方。「森」も同様に略す。
「弁」は「辨」「辯」「瓣」とはもともとは別字。
「辞」は中国の南北朝の時代から使われている字体だが「辭」の偏がなぜ「舌」になるのかわからない。
「醱」の「發」がなぜ「発」になるのかわからない。少なくとも草書の字体ではない。

2009年06月14日

『漢字整理案』「許容体案」14頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「処」は「處」の略字ではない。金文の時代からある異体字である。『説文解字』にも両方の字体が載っている。
隷書の時代には石碑にはほとんど「處」が書かれ、「処」はわずかに馬王堆帛書に手書きで残っている。
日本での「処」の使用例は、江戸時代の『大日本永代節用無尽蔵』に1例載っているだけで、「HNG(漢字字体規範データベース)」には1例もない。

「号」は「悲しんで激しく泣く」ことで、のちにこれに「虎」を加えて「大声で叫ぶ」意味をあらわす。つまり「号」と「號」は意味がたいへん良く似た別の字だったが、楷書の時代には既に混用され現在に至っている。

「蚕」は日本でできた字とおもわれる。10世紀には上部が「天天」と天を2つ書いた字体が現れる。江戸時代には「蚕」の字体が頻繁に使われるようになる。

2009年06月12日

『漢字整理案』「許容体案」13頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「欠」はもともと別の字だが江戸時代には混同されている。

「続」は「續」の草書をさらに略した字。

「聡」は『干禄字書』に通としてとりあげられている字。

「脇」は同じもの3つを略す書き方。「澁(渋)」「塁」と同様。

「胆」は「タン」という音の「旦」を仮借した字。

「与」は「與」の略字ではなく『説文解字』にも載っている字体。

「臼」をくずして書いた形が「旧」で、古くは「臼」を「旧」の字体で書いていたが、江戸時代に「舊」の略字として「旧」が書かれるようになり、「旧」の形で書かれていた「臼」は「臼」の字体に戻った。「旧」は「縦線+日」ではなく「縦線+縦線+ヨ」であって「縦線+縦線」は「ヨ」の左右反対の形をくずしたもの。
http://tonan.seesaa.net/article/121154438.html

2009年06月11日

『漢字整理案』「許容体案」12頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「礼」は隷書の時代にはすでに使われている字体である。
「礼」は「禮」をくずしてできた略体ではなく、別系統の字体で『康煕字典』には「礼」は「禮」の古文として載っている。北魏では旁が「ヒ」の形の字もある。「ネへん」の出現は北魏の頃。

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「稲」の「臼」は「旧」。

「経」の許容体案は手書きの通用体の一般的な字体。現在の常用漢字の「経」の方がめずらしい字体だとおもう。「糸へん」の下部は3点。

2009年06月10日

『漢字整理案』「許容体案」11頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「献」は遅くとも元代には書かれている字。なぜこのように書かれるようになったのかはっきりしない。
「画」は「畫」の異体字の略字。
「畷」の許容体案はちょっと驚き。同じ形が4つある場合もこのように書くのか。
「畳」の許容体案は同じ形が3つある場合の書き方。「塁」「渋」と同様。
「痰」の許容体案は同じ形が2つある場合の書き方だが、どうも格好が悪い。「冬」などの字体と混同してしまう心配もある。書き文字の伝統では1字に2回の右払いは書かないので「炎」の上の「火」は払うべきではない。
「発」は使用例がみつからない。
「尽」は「盡」の草書からできた字体。

2009年06月08日

『漢字整理案』「許容体案」10頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「淡」や「淵」の許容体案は嫌な略し方。
「淡」や「炎」では右払いが2回あるが、上の「火」を払わずに止めて右払いを1回にするのが手書きの真っ当な書き方。
「游」の許容体案は「方」が「てへん」の形になっているが、これはあくまで「方」を「オ」の形に書いたのが「てへん」のような形になったものであって、「てへん」を書くつもりで書くべきではない。
「潟」「焰」は「臼」を「旧」の形に書いている。「旧」は「臼」をくずした形である。
「渋」は同じ形が3つあるときの略し方。
「澤」を「沢」とするのは「釋」の旁を「釋」と同じ音の「尺」で仮借してできた「釈」にならったもの。
「燈」と「灯」は元々は違う字種だが古来より通用している。常用漢字表で採用された。
「営」の許容体案の「呂」は「ノ」でつながっていなくて「口」が2つだけ。
「炉」は「虎がしら」をくずした形が「戸」に似ているためにできた略字。

2009年06月07日

『漢字整理案』「許容体案」9頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「気」の中が「メ」ではなく「ノ」になっている。「气」と区別するために何かを書いておけということで「ノ」なり「メ」なりを書いたのだろう。

『漢字整理案』「許容体案」8頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「於」の偏を「てへん」にするのには反対。片仮名の「オ」が「於」からできたことからもわかるように「方へん」は通用体では「オ」の形になる。「てへん」のようになるのは「オ」の形が略されたもので「てへん」ではない。
「昼」は「晝」の草体からできた略字。
さすがに「書」を「晝」と同様に略すことはなかった。
「朋」の略字は不採用。
「案」の許容体案は採用した方がよかったと思う。ただし「木」の最終画は払わない。
「条」は「條」の略字で古くから書かれており、空海も書いている。ただし許容体案では右ハライが2カ所あるが、このような書き方はない。
「森」の許容体案は同じ部品が3つあるときの書き方で、「澁(渋)」には採用されている。
「樅」の許容体案は通用体。現在の「従」は正字体と通用体の折衷案だが用例はある。

2009年06月04日

『漢字整理案』「許容体案」7頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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許容体案の「所」は通用字の手書きでは一般的な字体。
「控」の許容体案は当用漢字字体表に採用されなかった。
「攴」「攵」「又」は通用する。「戈」が通用することもある。

『漢字整理案』「許容体案」6頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「莖」「徑」「從」の許容体案は現在の「茎」「径」「従」よりも通用字体として真っ当だと思う。

2009年05月31日

『漢字整理案』「許容体案」5頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「遊」の許容体案は「方」が「てへん」になっているが、通用体では「オ」の形になる。この「オ」が行書や草書で「てへん」に似た形に書かれたのであって楷書で「てへん」の形を採用するのには賛成しかねる。

『漢字整理案』「許容体案」4頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「壹」の許容体案「壱」は「壹」の「豆」の部分が「工」に似た形にくずされ、それが「ヒ」の形になったものと思われる。「壱」の字体は夏目漱石も『坊っちやん』の原稿中に書いている。
「安」の許容体案は通用字体ではごく一般的な形。
「宮」の許容体案は通用字体ではごく一般的な形。

2009年05月23日

『漢字整理案』「許容体案」3頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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「協」の許容体案は同じかたちが3つあるときの略し方で、「澁」を「渋」とするのと同様。「森」「轟」などもこのような書き方をすることがある。「壘」の許容体案「塁」も同様。
「圓」の許容体案「円」は「圓」の中の「員」を縦線に略したものの下の横線が上に上がったもの。
「圖」の許容体案「図」はなぜこのような形にかかれるのかはっきりしない。「口」を2つの点に略して「メ」を書いたのか、あるいは音読みの「ズ(ヅ)」によるものか。

2009年05月18日

『漢字整理案』「許容体案」2頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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現在は見かけない許容体もありますね。
「勵」の許容体案「励」は「萬」を異体字の「万」にかえたもの。
「區」がなぜ「区」とかかれるのかはっきりしない。「匚」「匸」と区別するために「×」を書いたものか。

『漢字整理案』「許容体案」1頁 文部省普通学務局 大正8年7月

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大字は許容体、小字は標準体。文字の配列は標準体の順序に拠る。
○印を附したるは其の意義用法の標準体と一部相通ずるもの。

「乱」「仏」は古くから書かれている字体だがなぜこの字体になったのかわからない。
「儘」の許容体案は草書からできた字体。
「児」は「臼」をくずしてできた「旧」を適用した字体。

『漢字整理案』「前書き」文部省普通学務局 大正8年7月

拙著『文字の骨組み 字体/甲骨文から常用漢字まで』の第3章資料編に掲げたものですが、紙幅の都合で大きく掲載できなかったので、このブログに掲載します。

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現今我が国に行はるる漢字を見るに、其の字形音訓及び用法等に於て整理を要すべきもの甚だ多し。今字形に就きて之を見るに、従来一般の標準たる康煕字典に於ても、まま統一を欠き或は煩冗に失するものあり。此の如きは国民教育上漢字教授の徹底を期すること困難なるのみならず、実際の不便亦尠しとせず。故に現今の漢字に就きて其の統一を図り整理を行ふは今日の急務なるを認め、先ず字形の整理に着手し、漸次字音字義及び用法等に及ばんとす。
本案は尋常小学校の各種教科書に使用せる漢字二千六百余字に就き、康煕字典を本として整理を行ひたるものにして、大要字画の簡易運筆の利便なるものを採り、或は字形の釣合を調へ、小異の合同を図るにつとめたり。
世俗慣用の文字には訛謬のものなきにあらざれども。必ずしも一概に之を排斥すべきにあらず。故に簡単にして書き易く、又は慣用既に久しく且広きものを選びて使用を許容することとし、之を巻末に掲載せり。
本案の文字は文学博士上田万年同服部宇之吉同林泰輔松井簡治岡田正之保科孝一諸橋轍次後藤朝太郎山口察常の調査選定せるものにして将来広く国民教育上に採用せんとする見込みなれども、今先づ之を公にして普く世の批評を求むることとせり。
   大正八年七月   文部省普通学務局