2008年05月13日

しんにょうの点の数はいくつ?

先日、府川充男さんに「大熊君、本に『しんにょうの点は、くねる1点かくねらない2点』って書いてたけど、弘道軒清朝とか漢籍の版本には2点でくねる字あるよね」とするどいご指摘をいただきました(汗)
「くねる2点しんにょう」については、手書きの字にはほとんど出てこないので、例外ってことで本では割愛したんですが、もうちょっとくわしく書きます。

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弘道軒清朝の四号のしんにょうの部首の字種です。
「くねる1点しんにょう」と「くねる2点しんにょう」が混ざっています。

もう一度、古代文字から見てみましょう。

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しんにょうは「彳(テキ)」と「止(シ)」を合わせたものです。
「彳(テキ)」は「行」の左半分で「行く」という意味。
「行」は十字路の形です。
「止(シ)」は「止まる」という意味ではなくて、殷代は「進む、歩く」という意味です。
「止(シ)」を2つ合わせた字が「歩」です。
つまり、しんにょうは「行く、進む、歩く」という意味です。

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「通」を例にとって見てみましょう。
甲骨文ではまだ「止」がありません。
金文で「止」が加わってやっと「しんにょう」の部品が揃います。
篆書の手書きで「止」の最終画が右に伸び、「にょう」になります。
隷書で「止」が略されてやっと「しんにょう」っぽくなります。
亀の甲羅や骨に彫られたり、金属に鋳込まれたり、石に刻まれていた文字が、筆で手書きされることによって字形が劇的に変化します。これを「隷変(れいへん)」と言います。

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隷書のしんにょうを3タイプあげました。

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Aがもっとも基本的な隷書のしんにょうです。
「彳」も「止」も右上から左下に向けて書かれています。
これをつなげても楷書のしんにょうのようにはなりません。

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「彳」が「さんずい」のように左から右に書かれるようになります。
これは書いてみると見た目以上に大きな変化です。
「止」は右上から左下に向けて書かれています。
これが「2点でくねらない」しんにょうの元祖です。
これの2点目からつづけて書くと「1点でくねる」しんにょうになります。

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「彳」を左から右に書き、「止」を左上から右下に向けて書いたしんにょうです。
これが「2点でくねる」しんにょうです。

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手書きでは「2点でくねる」しんにょうは希です。

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隷書では、2点のしんにょうも希にあります。
なお、行書ではくねりを略して書くこともありますし、草書では点は略されます。
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2008年05月07日

字体インタビューのフォーマット

字体インタビュー」をご覧になった方から「自分もインタビューしたいのでフォーマットをください」という連絡をいただいたので、PDFをアップします。
jitai-inta.pdf
ご協力お願いします。

なお、今回修正した点が2カ所あります。
「会」と「黒」は点々になるか横線になるかを調べたかったのですが、重複するので「黒」を「飲」にかえました。
「狭」と「来」は人人になるかどうかを調べたかったのですが、重複するので「狭」を「塩」にかえました。

インタビューするときにお願いしたいことがあります。
次の2種類のインタビューをしていただきたいのです。

1)鉛筆書きで習った字を書いてください。
2)筆書きで習った字を書いてください。

なぜかというと、昭和10年以降、硬筆では文部省活字の字体を習い、毛筆ではAの系統の字体を習ったからです。
つまり、硬筆と毛筆では違う字体を習っているのです。
それをなるべく混同しないように調べていただきたいのです。
僕が試しにやった「字体インタビュー」では混同しているのではないかと思われる箇所がいくつかありました。

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上の2つで文字自体を思い出せない場合は、これを使ってください。

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文部省活字にはAの系統の字体と、Bの系統の字体が混じっています。
たぶん「衛」「横」「塩」「飲」「北」の5字は硬筆でも文部省活字の字体を書くとおもわれます。
「偽」の右上の「ノ」の下の点3つの向きはどう書くか。
「遅」のしんにょうの点の数と旁の横線4つをどう書くか。
「秘」をしめすへんで書くか、のぎへんで書くか。
なども興味深いところです。
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「日本国憲法」の原本の字体

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「正統なものには正統な字体を使う」という唐代以来の伝統か、筆でBの系統の字体を書いているが、細かく見るとAの系統の書き方が混じっている。

「総意」の「総」は全体的には干禄字書で正とされている字体だが、糸偏の下部はAの系統の書き方。
「深」の右下を「木」ではなく、「ホ」に書くのはBの系統ではない。
「條」の右下も「ホ」なのでBの系統ではない。
「會」も全体的にはBの系統だが、縦線が上の横線まで達しているのはBの系統ではない。
「経」も全体的にはBの系統だが、糸偏の下部はAの系統の書き方。

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御名の「裕」の「谷」が左右に分かれているのは、Aの系統の書き方。

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肩書きをBの系統の字体で書いているが、細かく見るとAの系統の書き方が混じっている。
「総理大臣」の「総」は干禄字書で正とされている字体だが、糸偏の下部はAの系統の書き方。
「兼」の最後の2画は左右に払わず、点々で書いている。これはAの系統の書き方。
「爵」はAの系統の書き方。

「木」「林」の縦線はいずれもはねている。「木」「林」の縦線をはねて不正解になった生徒諸君は、教師に「日本国憲法」の原文を見せるべし。

署名はAの系統で書いている。
吉田茂の「吉」は「つちよし」。これはAの系統の書き方。
しんにょうは2点で書いている。これはB系統の書き方。
運輸の「輸」はBの系統の書き方。

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「蔵」はB系統の字。
「徳」はA系統の字。

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活字は、秀英体の四号明朝か。
日本国憲法の公布は当用漢字字体表の告示前なので、当然旧字体で印刷されている。

日本国憲法についての映画で「日本の青い空」というのを見たことがあって、「憲法研究会」というのが草案を作るのだが、その研究会の張り紙に「憲法研究会」と「会」が現在で言う新字体で書いてあった。あれは実際にそのように書いてあったのか、それとも制作者のミスだったのだろうか?
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2008年05月05日

Aの系統とBの系統-04

伝統的筆記体と正字という言い方を、Aの系統とBの系統に改めました。

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説文の字体は甲骨、金文に見あたらない。
韓仁銘は説文の字体。
顔真卿はAの系統とBの系統の両方を書いている。
Bの系統に揺れることもある欧陽通だが、この字ではAの系統を書いている。
文部省活字はこの字に関してはBの系統をとっている。
当用漢字字体表の字体は、草書をとりいれたもの。
楷書か行書の字体を採るべきだったのではないか。
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「似非楷書」江守賢治さんと府川充男さん

『江守賢治国語国字研究所 研究紀要 第1輯』(1997年6月)に府川充男さんの『組版原論』の内容が引用紹介されています。
府川さんの築地電子活版のサイトから引用します。

なお、築地電子活版のトップページはこちらですが、もれなく「インターナショナル」が鳴るので、仕事中の方は音量を絞ってご覧ください。

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戦前の文部省活字には、Aの系統の文字とBの系統の文字が混ざっています。文部省活字は昭和10年から国定国語教科書に採用され、硬筆手本としても使われました。ただし、書写(毛筆)の授業ではAの系統の文字を教えていたようです。それは江守さんの『解説 字体辞典』および府川さんの『聚珍録』の「第一篇 字體」に掲載されています。

実は書道字典の多くは漢和辞典と逆で、Bの系統の文字を無視しています。「干禄字書」「五経文字」「九経字様」「開成石経」顔真卿の「竹山聯句」などが載っている書道字典は希です。ただし見出しの活字はBの系統の文字を使っていますが。

上記の本には、子供の書き初め大会で、Aの系統の文字を書いてあったら落選、という話がありますが、大人の書道展では逆で、Bの系統の文字を書いていったら落選するかもしれません。

書道字典は、Bの系統の文字も載せた上で「書家がこの字体を書くと恥ずかしい」というようなことを表記した方がよろしいかとおもいます。

  
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2008年05月02日

字体インタビュー

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Kさん
性別:女性
終戦時の年齢:満11歳(昭和9年生まれ)

テスト後のインタビュー

私:「衛」はこう書いていたんですか?
K:そうです。
(明朝体の旧字体を示して)
私:こんな字じゃなかった?
K:そんな字は書いたことないです。
私:「横」はこういう字だったんですか?
K:そうです。
(明朝体の旧字体を示して)
私:こういう字じゃなかった?
K:そんな字は書いたことないわ。
私:「穏」はこう書くんですか?
K:そうだと思うんですけど。
(明朝体の旧字体を示して)
私:ここに「工」は入ってなかった?
K:そんな字は書いたことないですね。
私:「會」は中身が点々になる?
K:そう、点々を書いてた。
私:「偽」はこう書いてたんですか? 点の向きもこう?
K:「ノツ」って覚えてたから、こう書いてました。
私:「狭」はこう書いてたんですね。
K:そうです。

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私:「恵」はこう書いてたんですね。
K:そう。下に「ム」でもない変なのが付くんです。
私:「軽」はこう書いてたんですか?
K:「茎」もこんな風に書いてました。「く」が3つか2つかよく間違えてました。
私:「虚」の下の方はカギカギに折り曲げて書いてたんですか? 点々じゃなくて。
K:そうです、カギの向きが上向きだったか下向きだったか迷いました。
私:「撃」は?
K:たしかこんな風だと思うけど、間違えてるかも。
私:「黒」は点々を書いてた?
K:点々を書いてた。
私:「関」はこんな字?
K:こんな風な機関銃みたいな形を中に書いたんだけど思い出せない。
(明朝体の旧字体を示して)
私:下の方はこんな風にカギカギに書いた?
K:そうそう、こんな風に書いた。
私:「状」の左はこんな風にカギカギに書いた?
K:こんな風にカギカギに書いた。
私:「真」はこう書いたんですね。
K:下の直角に曲がるところは横線が左に突きでないように注意して書いてました。
私:「青」の下は「月」じゃなくて「円」だったんですね。
K:そうそう。
私:「蔵」の左はカギカギに書いた?
K:そうこういう風に曲げて書いた。
私:「遅」は本当にこう書いたんですか?
(明朝体の旧字体を示して)
私:こうじゃなかった?
K:そんな字は書いた覚えがないです。
私:しんにょうの点は2つじゃなかったんですか?
K:しんにょうの点は1つですよ。他の字もみんな。
私:秘密の「秘」はのぎへんだったんですか?
(明朝体の旧字体を示して)
私:しめすへんじゃなかった?
K:え〜! おかしいなあ、のぎへんだったと思うんだけど。
私:「北」の左の縦線は下に突き出ないんですか?
K:下に突き出ないように注意して書いてたから、そんなことはないです。
私:「来」はこう書いてたんですね。
K:そうです。
私:どうも、ご協力ありがとうございました。
K:久しぶりに頭を使いました。
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2008年04月29日

野嵜さんのご教示まとめ

野嵜さんのご教示をまとめます。

まず新鮮だったのは、
「明治期から昭和初期にかけては筆記字体と印刷字体の区別はない」
というご指摘です。

考えにいれなければならないのは筆記具の変化です。
僕は「手書き=筆書き」と考えてしまいますが、明治からは鉛筆が使われます。江戸時代までは寺子屋で読み書きを覚えるのに最初から筆を使いましたが、明治以降はまず鉛筆で文字を習う。
僕は鉛筆で書いても無意識に筆脈や筆勢を再現してしまいますが、もし硬い芯を入れたシャープペンシルやロットリングなどの製図ペンで文字を書けば、手書き独特の筆脈や筆勢は出ません。

「明治以來、日本の教育現場では、國語の教科書を教へるのに、生徒に朗讀等をさせた上で書き寫させてゐました。戰爭が終つて米軍に占領されるまで、基本的に明治期から昭和初期の正字體で日本人は教育され、それを手書きでも用ゐてゐたのです。」

というご教示も筆記具の違いを考慮すればありうることです。
極端な言い方をすれば、明治以降の筆記は書ではなくレタリングということでしょうか。

僕は字体の変遷を2000年のスパンで考え、唐代の中庸に正字が書かれたのも、明治期から戦前まで活字字体風の字が書かれたのも、2000年のスパンでみればちょっとしたイレギュラーだ、ぐらいに考えていたのですが、明治期から戦前までは特別に考えなければならないかもしれません。

実際にどうだったのか、お年寄りにインタビューして調べてみます。
そのころの小説家の手書き原稿なども調べてみます。

野嵜さん。貴重なご意見ありがとうございます。

上記のような前提にたてば、この本もまったく非難するものではありません。

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2008年04月28日

筆記体と正字体03

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説文解字の字体を楷書にしたら「正字試案」のようになるはずなのだが、これでは楷書の体をなさないので、「八」のような部分を横線にするしかなかったのだろう。

字を作ってしまうとは皇帝の力は凄いものだ。
このような字を書かなければ不合格になってしまう科挙の受験生も大変だったんだろう。
木偏をはねて×をつけられる日本の生徒諸君も同じようなものか。

康煕字典では旁の「由」の真ん中の縦線が「廿」の下まで突き抜けていない。

正字にくらべて筆記字体のなんとおおらかなことか。木偏が手偏になったり、カタカナの「オ」のようになったり、旁の上部を3画で書いたり4画で書いたり、「田」にしたり「由」にしたり。
唐代の正字を定める元になった『顔氏字様』の著者である顔師古でさえ正字を書いていない。

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『康煕字典』同文書局原版
もっとも普及した康煕字典だろう。欄外に篆書が書いてある。

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『康煕字典』初版
欄外に篆書がない。

もともとの康煕字典の親字は、篆書の字体を明朝体で説明するためのものでしかなかったのではないだろうか。
筆記を強要するものではなかったと思う。

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『康煕字典』初版 序文
親字の字体の筆記を強要するものでなかったのは、康煕帝御製の序文に相当数の伝統的筆記字体が使われていることでもわかる。
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筆記字体と正字体02

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説文解字の字体は、甲骨、金文、戦国古璽などにみつからない。
熹平石経ではすでに一部省略されている。
九経字様には説文の字体のものと、一部省略された熹平石経の字体のものの両方がある。
康煕字典には説文から一部省略された熹平石経の字体のものと、伝統的筆記体の両方がある。
文字によっては正字体にひっぱられる文部省活字も、この字種については伝統的筆記体を採用している。

正字は為政者が正当と認めた文字であって、正しい文字、という意味ではない。正当の根拠は説文解字である。
現在の当用漢字、常用漢字も為政者が認めた文字だが、正当の根拠がない。

当用漢字字体表の字体が伝統的筆記体とすべて一致するわけではない。この字種については一致しているだけである。
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2008年04月27日

筆記体と正字体-01

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筆記体と正字体で異なる字を順番にあげていきます。

篆書の時代にあった「工」は紀元前にすでに失われていましたが、唐代に説文解字に倣って正字としてよみがえりました。この正字は皇帝からの問いに対する答えなど限られた用途にしか使われませんでした。
日本には伝統的な筆記体が伝わりました。
清代にまたしても説文解字に倣って康煕字典の文字が作られました。この字体は明治以降、印刷字体として採用されました。文部省活字にも採用されていますから、昭和初期には手書き字体としても流通していたのかもしれません。
戦後、当用漢字字体表で以前の筆記体が採用されました。ですから新字体は旧字体よりも古い字体なのです。

私見ですが、明朝体としては旧字体の方が好きですが、手書きの字体としては筆記体の方が好きです。
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2008年04月25日

正字を書いていない正字の提唱者

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「等慈寺碑」顔師古(581〜645年)
顔師古は唐代の正字を定める元になった『顔氏字様』の著者なのだが、彼が書いた「等慈寺碑」には正字が書かれていない。
『顔氏字様』を参考にしてつくられた『干禄字書』は、顔師古の子孫の顔元孫(7〜8世紀)がまとめたものだが、「等慈寺碑」にある「聡」は、『干禄字書』の最初に出ている通字だ。「目+月」の「明」も通字。

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2008年04月22日

「昔は旧字体で書いていた」なんてウソだ!

『旧漢字―書いて、覚えて、楽しめて』という本を買ってみた。
旧字体(旧漢字)を鉛筆で書こう、という本なのだが、残念ながら旧字体(旧漢字)は(主に明朝体で)印刷をしていた字体であって、手書きをしていた字体ではない。

1949年、当用漢字字体表が発表され新字体が採用された。
これによってそれまで使われていた字体は、旧字体とか旧漢字と呼ばれることになった。
ただしこれは印刷についてのことである。
当用漢字字体表の発表前には、印刷字体と手書き字体は違うものだったのである。



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2008年04月16日

杉浦康平さんはなぜパーレンの前後をベタにするの?

杉浦康平先生の『アジアの本・文字・デザイン』を読んでいるのですが、この本の本文のパーレンやカギ括弧の前後にまったくアキがなくベタになっています。
杉浦先生がやっているのだから、根拠があるのだとおもいますが、理由をご存じの方は、ご教示ください。

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2008年04月05日

なぜ営業マンが母型の版下を書くことになったのか

高内一さんは、予科練の生き残りである。
終戦後の1947(昭和22)年に岩田母型の営業部へ入社した。
当時、村瀬錦司さんが岩田母型の技術顧問であり、毎日新聞社の顧問を兼任していた。
毎日新聞社が導入しようとしていたベントン父型母型彫刻機を毎日新聞社で見た高内一さんは、岩田母型の岩田百蔵社長に、ベントンの導入を進言する。
ベントン導入が決まったものの、ベントンで母型を作るには版下が必要だ。
当初、種字彫刻の名人・大間善次郎さんに岩田百蔵社長がベントン用の版下を頼んだが、大間さんは原寸のしかも鏡文字を彫る職人。版下の製作は無理だった。
結局、版下を作れる人がいなかったので、高内さんが作ることになったらしい。
1949(昭和24)年、高内さんは営業部からベントン研究室へ配置転換になる。
本文用明朝の版下は、秀英体を元にした。活版印刷では印刷の圧力でインキが外側にはみ出すので、その分細めに作る。だから清刷を元にするとできたものは太くなってしまう。それで高内さんがやったのは、元になる活字にインキを塗り表面だけを布で拭う。それを写真に撮り、拡大する。それを元に版下を書くという方法だった。
ただし、単純にトレースすれば良いというわけではない。拡大した写真は不鮮明だし、お客様は新しいベントン活字を買って、それまでの活字を捨てるわけではない。多くのユーザーはそれまでの活字にベントン活字を買い足していくわけだ。だから、それまでの活字とウェイトが合っていなくてはならない。
不鮮明な写真を解釈し、古い活字にウェイトを合わせて版下を作るという作業によって、あの名作は生まれたのだ。
もっとも高内さんは、営業マンとして入社はしたが、工業高校の出身でしかも書道の心得があった。それにしてもあの名作を営業マンが作ったとは奇跡である。

明朝体の主要版下は5種類(他にタイプライター用などあり)
〈2”m〉6ポから12ポの明朝体用:秀英体の8ポを翻刻(2インチサイズの版下)
〈2”M〉14ポの明朝体用:秀英体の4号を翻刻(2インチサイズの版下)
〈3”m〉16ポの明朝体用:14ポの明朝体を太くしたもの(3インチサイズの版下)
〈3”M〉18ポから28ポの明朝体用:築地体の2号を翻刻(3インチサイズの版下)
〈4”M〉32ポから42ポの明朝体用:築地体の1号を翻刻(4インチサイズの版下)

ゴシック体の主要版下は4種類(他にタイプライター用などあり)
〈2”LG 〉6ポのゴシック用:秀英体の9ポを細めて翻刻(2インチサイズの版下)
〈2”G〉7ポから16ポのゴシック用:秀英体の9ポを翻刻(2インチサイズの版下)
〈3”G〉18ポから28ポのゴシック用:電胎母型の頃の岩田の3号を翻刻(3インチサイズの版下) 
〈4”G〉32ポから42ポのゴシック用:電胎母型の頃の岩田の1号を翻刻(4インチサイズの版下) 

高内さんは、上記5種類の明朝体と2”LG、2”Gのデザインに関わっている。
岩田のベントン活字は、秀英体、築地体を元にはしているが、できたものはオリジナルといって良いとおもう。
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2008年04月04日

新聞の活字

先日、岩田母型の高内一さんから聞いたのですが、戦時中の新聞社は会社が爆撃されても機能が停止しないように分社化していたんだそうです。
大阪、東京はもちろんもっとたくさんの会社に分けていた。
で、朝日新聞は大阪朝日と東京朝日では活字も違っていた。大阪朝日は太佐源三(つまりモトヤ系)の活字、東京朝日は岩田母型が作った活字を使っていた。毎日も読売も岩田母型が作った母型を使っていたそうです。もちろんそれぞれが特注品ですべて違う活字です。
戦後、GHQのすすめもあって新聞社各社はベントン父型母型彫刻機を導入し、朝日新聞は太佐源三デザインの活字を全面採用。
毎日新聞は岩田母型にいた村瀬錦司さんが活字制作に着手し、小塚昌彦さんが完成させた。読売新聞は岩田母型が作ったということらしいです。

驚いたのは、印刷物のシェア60%を誇った名作・岩田のベントン母型をデザインしたのは高内一さんだということです。
高内一さんはデザイナーとしてではなく営業マンとして岩田母型に入社した人です。まあ、もともと書の心得があった人ですが、営業マンが作った母型だとはねえ。読売新聞の活字も高内さんが作ったものです。
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書評『組版/タイポグラフィの廻廊』

高木元(千葉大学教授・国文学専攻)先生が書評を書いてくださいました。
http://www.fumikura.net/other/fukawar.html
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2008年04月02日

唐様、和様、江戸の文字

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以前、『三島由紀夫と葉隠』という本の装丁のために集字したものです。
どれも気に入らず、実際は明朝体をつかったのですが、唐様(中国風)、和様(日本風)、江戸の雰囲気がでているので掲載します。
左は行書がいちばん面白かった宋から明にかけての字を集めたものです。中国の書の表現の時代です。強くて面白いのですが集字すると一字一字がバラバラです。「と」は日本の字ですが、次の字につながるような形だとまったく合いません。
真ん中は平安中期の字を集めたものです。別々のものから一字ずつ持ってきたのですが意外にまとまります。ただ武士道の本のタイトルに使うには弱いです。ひらがなの横に書いても違和感のない書き方が和様ですから、しかたがないですね。
右の江戸はまとまりもあるし、ある程度強いのですが、様式に堕しているというか形式化しているような気がします。こういうのを嫌ったものが「葉隠」なんでしょう。
たぶん、鎌倉時代あたりの字を集めたら良い感じになるとおもうのですが、そういう字書がないのです。もしあったら教えてください。

 
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当用漢字字体表(岩田母型)

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当用漢字字体表が発表された昭和26年当時、すでにある字体とこれから作らなくてはならない字体を一覧にしたもの。
実は以前、岩田母型の高内一さんから見せていただいていて、写真も撮ってあったのですが、先日、この一覧表は、当時岩田母型にいた村瀬錦司さんの手書きだと聞きました。村瀬さんは後に毎日新聞明朝を作る人です。

この表は『組版/タイポグラフィの廻廊』の巻末に全文を掲載してあります。
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2008年03月31日

本邦活字の書体及規格一覧表(森川龍文堂)

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ryobundo72dpi.jpg

72dpiで原寸表示
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2008年03月28日

東夷之書

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日本のある書家が生前使っていた印である。

東夷(とうい)とは「東方の野蛮人」という意味。
「東夷之書」とは「東方の野蛮人の書」という意味。
自らすすんで土下座しているわけだ。
誰に対して?
posted by トナン at 15:31| 埼玉 ??| Comment(0) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする