2023年03月07日

字体変遷字典 【戈】成我戒或戚

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【成】康煕字典と当用漢字表では「成」。江戸期は2画目の横線を省略することが多い。

【戚】2004年に人名用漢字になり2010年に常用漢字になった字。
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2022年08月09日

文部省『筆順指導の手びき』の広告

友人から『筆順指導の手びき』をいただいた。
お父さんの蔵書だったらしい。

本自体も貴重だが、本に挟まっていた広告がまた貴重だ。

筆順指導の手びき・広告.JPG

以下が広告の全文。

--------------------
全生徒、全学生、全教育者に贈る
初中等教育課 沖山光 担当
筆順指導の手びき
A5判 一二〇頁
定価 三五円
送料 一〇円
昭和二十三年当用漢字字体が発表されて以来、その筆順については必ずしも統一されていなかった。此の指導上の不統一を解決する為めに斯界の学識経験者、大学教授、指導主事、現職校長先生による協議の結果得たる案にもとづき、文部省が贈る筆順統一の決定版。
--------------------

この広告でわかるのは、
1)担当者が初中等教育課の沖山光という人だということ。本の中には担当者の名前は書かれていない。
2)「筆順については必ずしも統一されていなかった」「文部省が贈る筆順統一の決定版」と筆順を統一したとされていること。これは「まえがき」にも書かれていいる。「1. 本書のねらい」には「もちろん,本書に示される筆順は,学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって,そのことは,ここに取りあげなかった筆順についても,これを誤りとするものではなく,また否定しようとするものでもない」と書いているが、本心は筆順を「統一」したかったのだろう。

筆順指導の手びき・表紙.JPG


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2022年04月22日

【修正】字体変遷字典 【心】悠惟惚惨惹情惜惣

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【惚】「悩・惱」の異体字として「惚」が使われることはあるが、反対に「惚」の異体字として「悩・惱」が使われることはないようである。

【惣】この字は中国では使われていないらしい。『經典文字辨證書』によると、「總」が正で「揔」「惣」が俗。『九経字様』によると「揔」が説文の字体で「緫」が経典の字体、とあるが説文には「揔」がみつからず「總」がある。『日本名跡大辞典』では「惣」を「總・揔・捴・統」の異体字としている。「総・總」の中国簡体字は「总」。
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字体変遷字典 【心】悠惟惚惨惹情惜惣

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【惚】「悩・惱」の異体字として「惚」が使われることはあるが、反対に「惚」の異体字として「悩・惱」が使われることはないようである。
【惣】この字は中国では使われていないらしい。日本では「総・總・緫・ハ」の異体字として掲載している字典もある。「総・總」の中国簡体字は「总」だが表には載せなかった。
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2021年07月27日

字体変遷字典 【彡】彫彪彬彰影【彳】役

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【彫】中国では「雕」を使う。「彫」と「雕」は大徐には別々に載っている。大徐の「雕」の籀文は「G」の字体。
【彬】大徐の古文と康煕字典の古文が逆。
【彰】一画目が大徐や康煕字典では横線だが当用漢字表も当用漢字字体表も縦線になっている。
【役】大徐の古文に偏が「亻」の字が載っており、それが康煕字典の古文に対応している。五経文字には「役」と偏が「亻」の字と両方載っており同字種としている。実際に書かれたものも江戸時代までは偏が「亻」のものが多い。
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2020年06月15日

字体変遷字典:【山】嵯嵩嶋嶺巌


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【嵩】康煕字典に「嵩」の古文として「崇」が載っている。別に「崇」も親字として載っているが「嵩」は載っていない。

【巌】現代中国では「岩」を用いる。
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2020年06月02日

字体変遷字典:【山】峨峻島峰峯崖

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【島】JIS漢字に5つの字種が登録され、康熙字典に4つの字種が登録されている。

【峰・峯】説文の大徐本にはあるが、段注本には記載がない。説文にある字体は「峰」ではなく「峯」。我が国でも中国でも「峰」を常用漢字として選んでいる。
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2020年04月29日

字体変遷字典:【尸】届屋屍屑展屠屡


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【屑】2004年にJIS漢字の例示字体が「屑」から「屑」に変更された。説文解字の例示字体が不思議。

【屠】2004年にJIS漢字の例示字体が「屠」から「屠」に変更された。
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2019年04月23日

「令」の印刷文字と手書き文字の字体について

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新元号「令和」が2019年4月1日に発表されました。
発表時、菅官房長官が掲げた「令和」と書かれた書の「令」の字に違和感を持ったのはわたしだけではないでしょう。
そこで「令」の字体についてまとめてみることにしました。

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上の表は古代から現在までの「令」の代表的な字体を示そうとして選んだ字形です。

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上の5例は内閣や省庁が告示や発表、使用している代表的な文字です。
左から「当用漢字表」「当用漢字字体表」「学習指導要領」「常用漢字表」「元号発表時」の字形です。

「字形」とした理由は、「字体」は「文字の骨組みの概念」なので目に見えないからです。
「字体」を字体の説明のために書けば「字形」ということになります。
概念というのは野球のストライクゾーンのようなものです。
サッカーのゴールは実物ですから見えますが、野球のストライクゾーンは概念なので目に見えません。

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「当用漢字表」は1946年(昭和21年)11月5日に国語審議会が答申し、 同年11月16日に内閣告示されました。
当時使われていた明朝体活字で印刷され、略字のある活字は積極的に略字が使われています。

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「当用漢字字体表」は1949年(昭和24年)4月28日に内閣告示されたもので、版下はどなたかが手書きで書いたものらしいです。
「令」の3画目は横線で、4画目は折れた(転折)後、真下ではなくやや左下に向かって書かれ、その後、左上にはねています。

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「小学校学習指導要領」の「国語」に「別表」として示されている「学年別漢字配当表」にある字形です。
「令」の3画目は点で、4画目は「フ」の形、5画目は点です。

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「常用漢字表」は「当用漢字表」「当用漢字字体表」にかわって、1981年(昭和56年)3月23日に国語審議会が答申し、同年10月1日に昭和56年内閣告示第1号として告示されました。
その後、2010年(平成22年)6月7日に文化審議会が改定常用漢字表として答申し、同年11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され現在に至っています。

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「常用漢字表」の書体は明朝体で、字体も明朝体のものですが、明朝体の特徴である「筆抑え」を省いた字形です。

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「常用漢字表」の前文には「書写の楷書ではいろいろな書き方があるもの」として「令」の用例が2例載っています。

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「常用漢字表」の前文の考え方を詳しく説明した「常用漢字表の字体・字形に関する指針」(文化審議会国語分科会 平成28年)の「字形比較表」には「手書き文字の字形の例」として「令」の用例が3例載っており「など」と用例が3例にとどまらないことを示唆しています。実はこの表に複数の例を載せ、「など」と加えるようにしたのは、わたし(大熊肇)の要望が採用されたものです。

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新元号発表時に示された字体は、「常用漢字表の字体・字形に関する指針」の「手書き文字の字形の例」の3例のいずれにも該当しない字体です。

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上の図は、「令」の3画目(A-1からA-2)、4画目(B-1からB-3)、5画目の字体(C-1からC-2)の字体部品のバリエーションを示したものです。

〈A-1〉は3画目を点ではなく横線を書くもので、次のような用例があります。

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楷書の極則といわれる九成宮醴泉銘の「令」の3画目が点ではなく横線なのは意外な気がします。
※上の図の「学区図書」は「学校図書」の誤りです。(2019.04.23訂正)

〈A-2〉は3画目に点を書くもので、次のような用例があります。

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手書き文字の多数が点を書きます。
大阪書籍「改定 小学国語 六年 下」1957年は「令和」の元号発表時の字と同じ字体です。

〈A-2-2〉は3画目に点を書きますが点が4画目の横線に接する例で、次のような用例があります。

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〈B-1〉は4画目を転折の後、ほぼ垂直に書き、左上にはねるものです。

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印刷用の明朝体の字体といえるでしょう。

〈B-2〉は4画目を転折の後、左下に向かって書き、終筆ははねません。

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手書きのほとんどがこのタイプです。

〈B-3〉は4画目を転折の後、やや左下に向かって書き、終筆をはねる例です。

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明朝体の字体を手書きしようとするとこうなるようです。

〈C-1〉は5画目を縦線にし、終筆を止める例です。

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長いものも短いものもありますが、字体としては区別しません。
終筆を止めるか払うかは明朝体では区別できませんし、字体の範疇ではなく、書体の範疇だろうとおもいます。
終筆を「止める」とか「払う」というのは篆書にはなく、隷書以降にできたようです。
※上の図の「学区図書」は「学校図書」の誤りです。(2019.04.23訂正)

〈C-2〉は5画目に点を書く例です。

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行書、楷書に圧倒的に多い例です。

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〈手書きの字体〉
字体の差は計算上は「2×3×2=12」で12種類ありますが、×を付けたものは通常は手書きでは書かないので、手書きの字体は「2×1×2=4」で4種類ということになります。

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実例をあげると上の4つですが、3画目が横線で5画目が点という組み合わせはレアな組み合わせです。

〈印刷の字体(明朝体)〉
明朝体の字体は1つだけだろうとおもいます。

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明朝体の字体を手書きで書くと、奇妙な字ができあがります。
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2019年01月09日

字体変遷字典 (【宀】害宮宰宵容)

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【宮】「宀+呂」の字体と「宀+口+口」の字体があるが、説文の親字に採用されている「宀+呂」が正(統)字体、「宀+口+口」が通(用)字体ということになるのだろう。現代中国では「宀+口+口」を採用。
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2018年09月28日

字体変遷字典(宇守宅完宏)

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【宇】大徐本と段注本の籀文の字体が異なる。説文の字体を楷書にすれば「𡧃」になるはず。康煕字典では「宇」と「㝢」は別に載っている。

【守】漱石は『坊っちやん』で「守」を「御留守」で2回、「留守」で1回の計3回使っているが、すべて草書で書いている。
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2018年06月20日

文化庁『手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針』についての意見メモ

何年も前のことで、忘れちゃいそうなので、メモしておきます。

2015年1月18日
文化庁文化部国語課の武田康宏さんから、『「手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針』の作成について意見を聞きたい旨、メールをいただく。「指針の作成」というのは、常用漢字表の「(付)字体についての解説」の内容を,もっと分かりやすく説明したガイドを作ろうというものなのだという。

1月21日
武田さんが拙宅にいらっしゃる。下記の点についてお願いした。
◉いくら前文に「正しい字体は1つではないこと」を説明してもだめで、重要なのは「表」です。
◉表の「手書き文字の字形の例」が1つならそれだけが正解ということになってしまいます。
◉ですから、「手書き文字の字形の例」には複数の例を示してかならず「など」と入れて欲しい。

11月18日
『手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針(中間報告)』が届く。
それに対して次の意見を返信した。

151118tonan-shishin.pdf

以上です。
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2017年11月28日

説文篆文の「大」と「天」はおかしい

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説文解字の親文字(説文篆文)の「大」と「天」は泰山刻石の「大」と「天」と字体が異なります。
説文解字は後漢に作られたもので、泰山刻石は秦の時代に作られたものだから、泰山刻石の方が正しいとおもわれます。
「大」をパーツに持つ文字「夫」「央」「立」「並」は説文篆文には合わず、泰山刻石と合います。
小篆では説文篆文には従わず、泰山刻石に従うことにします。

〈追記2017.11.28〉
説文篆文の「大」と「天」は「籀文」として掲載されるべき字体なのではないでしょうか。
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康煕字典の「吉」と「天」について

「吉」について、上の横線が長い「士吉(さむらいよし)」と、下の横線が長い「土吉「つちよし)」があるのはなぜか、ときかれると、いままで次のように説明してきた。

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「士吉(さむらいよし)」と「土吉「つちよし)」は同じ字種で、隷書や楷書などは「土吉「つちよし)」が多く、明朝体などの印刷用の文字は「士吉(さむらいよし)」なのです。その理由としては次の二つが考えられる。

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(1)世界初の漢字字典である『説文解字』の篆書の親文字(説文篆文)が、「士吉(さむらいよし)」なので、唐時代の正字体楷書は「士吉(さむらいよし)」にした。「正字体」というのは説文篆文に合致した字体のこと。『康煕字典』も『説文解字』の篆書に倣って「士吉(さむらいよし)」にした。『康煕字典』の親文字は明朝体で、印刷字体はそれに倣って「士吉(さむらいよし)」にした。

(2)隷書や楷書は「土吉「つちよし)」の方がバランスがとりやすく、格好がよいので「土吉「つちよし)」。明朝体は「士吉(さむらいよし)」の方が格好がよいので「士吉(さむらいよし)」にした。

では「天」はどうだろうか。

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説文篆文の「天」に倣えば上の横線が短く、下の横線が長くなるはず。実際、唐時代の正字体は上の横線を短くしている。ところが『康煕字典』の親文字は説文篆文に従わず、上の横線を長く、下の横線を短くしている。

これでは「吉」の(1)のと同じ理由が使えない。もしかしたら「吉」も説文篆文に従ったのではなく単に明朝体には「士吉(さむらいよし)」の方が格好がよいからという理由で「士吉(さむらいよし)」にしたのかもしれない。

ところで「当用漢字表」や「当用漢字字体表」は印刷の字体と手書きの字体を統合したのだが、印刷の字体にも手書きの字体を採用した、と理解していたのだが、「吉」や「天」は印刷の字体を採用している。これはどうしてだろうか。
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2017年10月07日

『説文解字』の李陽冰による校訂は小徐本の底本か?

『説文解字』は後漢の許慎によって編まれた最古の部首別漢字字典である。
説文解字の校訂本として、ボクでも知っているものは、
◎南唐の徐鍇による『説文解字繋伝』=小徐本
◎北宋の徐鉉(徐鍇の兄)による『説文解字』=大徐本
◎清の段玉裁による『説文解字注』
の3つであった。

ところが唐の李陽冰が校訂しているということを近年知った。
李陽冰を知らなかったのは迂闊でした。

李陽冰の校訂本と小徐本との関係について、異なることを述べている本をメモがわりに取り上げておきたい。

◉『説文篆文入門 段玉裁の「説文解字注」を読むために』(頼惟勤監修、説文会編、大修館書店、1983年)
p.9–10
〈八世紀後半、粛宋、代宋時代に李陽冰という篆書の大家がいました。この人の校訂した説文のことが間接的に知られています。彼の校訂が内容的にどこまでのものであったか全面的にはわからないのですが、若干のところは徐鍇の『説文繋伝』の祛妄篇などに論及されてあるので想像できるのです。(中略)また篆書の字体については、これまでの懸針体を、彼は玉箸体に改めたのだそうです。ともかくも李陽冰校訂のところで説文の本来の姿が大分改変されたのだろうと言われております。〉
p.18
〈問 小徐の拠り所とした説文は李陽冰本なのですか?
 答 そういわれています。〉
p.19
〈小徐本ができてから少し遅れて北宋の雍煕三年(986)に、兄の徐鉉、つまり大徐が弟のそういう仕事を参考にしながら説文の校訂をしたわけです。これが大徐本です。これが段玉裁のいわゆる「雍煕校刊」(段注一上、二b、二左)で、底本は小徐本、遡ってやはり李陽冰本だったといえるでしょう。〉

まとめると
◆李陽冰がオリジナルの説文解字を大分改変した。
◆李陽冰は篆書を懸針体(針のようなエレメント)から玉箸体(末端が丸く線が太い)に改めた。
◆小徐本は李陽冰本を底本としている。
◆大徐本は小徐本を底本としているので、遡って李陽冰本を底本としている。
ということになります。

◉『漢字学 『説文解字』の世界』(阿辻哲次著、東海大学出版会、1985年)
p.221
〈この頃、李陽冰という人物がいた。かの大詩人李白の親類に当たり、李白の詩にも登場するが、かれは篆書の名手であったという。小篆の書体を考案したと伝えられる秦の李斯の直接の後継者は自分である、と豪語していた。その李陽冰が小篆の第一人者を自負して『説文解字』の小篆をすべて校訂したのである。李斯の後継者と自負する男だから、許慎など物の数ではなかったのであろう、その時李陽冰は自分の独断的な解釈によって『説文解字』の小篆体を書き改めてしまったという。これ以降『説文解字』は苦難の歴史をもつ。〉
〈徐鍇は唐代に李陽冰によって加えられた憶説を排除することに力をそそぎ、彼によって許慎以来の本来の姿がほぼ回復された。(中略)徐鍇こそは『説文』学を再興した人物として高く評価されるべきである。〉

この本は『説文篆文入門 段玉裁の「説文解字注」を読むために』の2年後に出版されていますから、当然『説文篆文入門……』を読んだ後に執筆したのでしょう。

まとめると
◆李陽冰が『説文解字』の小篆をすべて校訂した。
◆李陽冰は自分の独断的な解釈によって『説文解字』の小篆体を書き改めた。
◆徐鍇は李陽冰によって加えられた憶説を排除することに力をそそぎ、彼によって許慎以来の本来の姿がほぼ回復された。

【疑問】
◎李陽冰が書き改めたのは、小篆の書体や字体なのか、あるいはテキストの内容にも及ぶのか。
◎小徐本は李陽冰本を底本としているのか、李陽冰本の誤りを訂正してオリジナルに戻したのか。

 
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2017年10月03日

「葛」の字体について

先日(2017.9.30)桑沢デザイン研究所で行われた「佐藤敬之輔 再考 明日のタイポグラフィを考える」でのこと。
パネリストの葛西薫さんの「葛」はどの字体なんですか?という話題が出た。
つまり下部が「人+L(ひとかぎ)」なのか「ヒ」なのかという質問。
葛西さん曰く「どちらでもいいです」。
さすがに字体のなんたるかを知っている人だと敬服した。
葛西さんは子どもの頃、お母さんからは「メ+L(メかぎ)」だと教わっていたが、後に印刷物を見たら「人+L(ひとかぎ)」だった。それで手書きの「原戸籍(はらこせき)」を調べたら「ヒ」だったのだという。

「葛」は『説文解字』の親文字では、「縦組みの丸括弧の閉じ括弧を横に2つつなげたような形+L」になっている。
この「縦組みの丸括弧の閉じ括弧を横に2つつなげたような形」を手書きするときの解釈で「人」にもなれば「横線」にもなる。前者が「人+L(ひとかぎ)」で後者が「ヒ」である。
主に石に彫られていた篆書が手書きされるようになったときに「ヒ」になった。「ヒ」を使う「葛」は隷書や楷書などの手書きを元にできた書体の字体。「人+L(ひとかぎ)」は明朝体などの印刷する文字に採用されてきた字体である。

「当用漢字表・当用漢字字体表」は手書きの字体と印刷の字体を統合してきた。
「渇、掲、喝、褐、謁」は「当用漢字表・当用漢字字体表」および「常用漢字表」では手書きの字体が採用されたが、「葛」は当用漢字でも常用漢字でもないので明朝体の字体は「人+L」のまま手つかずだった。
だが、1983年のJISの改訂で「葛」の字体が「ヒ」に変更されてしまった。2004年のJISの改訂で再び「人+L」に戻された。

下に拙著『文字の骨組み』の「葛」の字体について説明したページの画像を貼っておきます。

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2017年07月11日

紙型はいつ縮むの?

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紙型

金属活字を使って本を印刷するときは、活字を組んだ版を厚紙にプレスして型を作ります。
これを紙型(しけい)といいます。
この紙型に鉛を流し込んで版をつくり、その版にインキをつけて印刷します。

売れる本は何度も印刷するのですが、初刷りと17刷りを比べると後者はサイズがかなり小さくなっています。
http://tonan.seesaa.net/article/397491267.html?1499748332

ボクは、最初に作った紙型を何度も使うものだとおもっていました。
ところが、最近聞いた話では、紙型は何度も作るらしいのです。
最初に組んだ組版で紙型を作りその紙型に鉛を流し込んで版を作る。
一度使った紙型は再利用できないので、紙型から作った版から新しい紙型を作る。
そういうことらしいのです。

そうだとしたら、紙型はいつ縮むのでしょうか?
紙型に鉛を流したときか、紙型を保存している間か。

実際に紙型を作っていた方、教えてください。

【追記】2017.07.13
東亰わかめ‏ @10ti3pinさんからの情報
紙型ではなく、ナマリが凝固するときにちぢむときいたことがありますが…


山本太郎さんからの情報
ステロタイプや新聞印刷についての知識は皆無ですが、下記の文献によれば、高温で溶解した金属の温度が低下する際に収縮が起こるので、出来る限り低温で鋳造する必要があると書いてありますね。
https://books.google.co.jp/books?id=ovo8AAAAYAAJ&pg=PA64...


小畠正彌さんからの情報
私は紙型が乾燥するときに縮むと教えられました。


狩野宏樹‏ @KAN0Uさんからの情報
戦前の新聞の紙型について http://www.conpt.jp/bulletin/231.pdf … のp.17に記述があります。型を取る時に紙型用紙を湿らせるので、組版から外して乾燥させる方式の場合、3%近く縮んだそうです。


〈まとめ〉
1)鉛が凝固するときに縮む。
2)紙型には湿式と乾式があり、乾燥するときに縮む。湿式の方がより縮む(3%程度)。
3)鉛が冷めるときに縮む。対処法として、なるべく低い温度で溶かす。

金属活字の鋳造時、鉛は凝固するときに体積が減るので、凝固するときに体積が増える物質(アンチモン)を加えて調節する。それを敷衍すれば、紙型から鉛版を作る際も鉛にアンチモンを加えているとおもわれる。その加減によっては鉛の凝固時も鉛版が縮むだろう。

紙型鉛版を使った印刷では、初版初刷りでも縮小されている可能性がある。

【追記2】2017.07.13

森卓司さんからの情報
新聞の紙型については『新聞整理の研究』(1966年、日本新聞協会)p. 5に、
「扁平活字が最初に現われたのが、昭和十六年。第二次世界大戦はすでに、はじまっていた。用紙は次第に窮屈になったが……ニュースを詰め込むためには、活字は小さくするしかない。……戦争はますますきびしく、用紙はいよいよ窮屈になった。……終戦後はついに用紙不足のため、二十三年、十五字詰め十七段制から、とうとう、二十四年、十五字詰め十八段制となった。これは十七段制の活字で、十八段に組み、中段も半カクや七分五厘に縮め、そのうえ、湿気を含んだ紙型を使い、その乾燥段階で一挙に一段分を圧縮するという非常手段さえとられた。……」
とあります。これだと3%どころではないのではないかと思いますが、ほんとうに非常手段ですね。


誌面を圧縮するためにわざわざ湿式紙型を縮小させたとは! 荒技ですね。

【追記3】2017.07.14
狩野宏樹‏ @KAN0U さんからの情報
別の資料https://www.jstage.jst.go.jp/article/nig1987/38/5/38_5_309/_pdf …では「『紙型』から『鉛版』を鋳造する過程で溶けた鉛の熱で『紙型』が乾燥して(焦げて)収縮する.その収縮率は,天地方向で約3%(15mm)左右方向で1.5%(5mm)程度であった.さらに『鉛版』が冷える時にわずかではあるが収縮…

乾式紙型でも使う時には必ず湿らせるようです。長谷川勝三郎『紙型用紙並に新聞用紙に就いて』)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jtappij1947/4/5/4_5_23/_pdf … では「或いは嚴密に言えばセミドライマットとでも云うべきものでありましょう。」とツッコミを入れています。

「一つの組版を數十回も紙型にとる事がある」新聞社に限った事ではないようで、例えば山岡謹七『改訂造本と印刷』でも「ドライマットとゆう紙型どり專用の特殊な厚紙に多少の水氣をあたえて,これを組版の上にのせ,油圧機の中に入れて圧搾し,同時に加熱(攝氏150°〜180°)させて紙型にとる」

(中略)「この方法すなはち圧搾法によると,程度の差こそあれ多少の活字のいたみはまぬがれないので,それらの活字はとうてい再度のおつとめはできないのである。」また、図のキャプションによると「こうしてとった1枚のドライマットから,5版か10版の鉛版を鑄造することができる。」とのこと。


〈まとめ〉
1)鉛が凝固するときに縮む。
2)紙型には湿式と乾式があり、乾燥するときに縮む。湿式の方がより縮む(3%程度)。
3)鉛が冷めるときに縮む。対処法として、なるべく低い温度で溶かす。
4)鉛の熱で『紙型』が乾燥して(焦げて)収縮する。
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2017年06月26日

築地活版所の7.5ポイントかなあ?

Kose no Kenkyu 001.jpg

新潮社の小駒さんから奨められた本。
『校正の研究』編集者:大阪毎日新聞社校正部 印刷社:明治印刷株式会社 発行所:大阪毎日新聞社/東京日日新聞社 発売所:春陽堂(昭和4年11月発行)。
内容を奨められて買ったのだが、活字がめずらしい。
初刷りを買ったので活字サイズが縮んでいないはず。
測ってみるとぴったり7.5ポイントでありました。
posted by トナン at 15:25| Comment(5) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月24日

小篆の「奈」

篆刻は通常、小篆か印篆で刻むのだが、「奈」という字は小篆にも印篆にも見えない。
『新書源』によれば、「奈」は前漢に出来た文字らしい。
『必携篆書印譜字典』を引くと「篆は柰に作る」とある。
小篆にはない形なので、「奈」のかわりに「柰」を使えということらしい。
「奈」と「柰」は異体字なのだろうか、別字なのだろうか。
小學堂」という文字検索サイトで「奈」の「異体字字典」を検索すると、『説文解字』は、表示されない。

スクリーンショット 2016-06-24 15.35.49.png

同じサイト内で「字形演變」を見ると、親文字として「祟」が表示され、説文の「示部」として「祟」の字体がある。
「包山楚簡」に「奈」の字体が見える。

スクリーンショット 2016-06-24 15.37.19.png

「小學堂」で「祟」の「異体字字典」を検索すると、説文の「示部」として「祟」が見える。

スクリーンショット 2016-06-24 15.37.46.png

「字形演變」では甲骨文までさかのぼって表示される。
《說文》「祟、神禍也。从示、从出。籀文祟从省」と説明がある。
「祟」は神の禍だという。

スクリーンショット 2016-06-24 15.38.28.png

「小學堂」で「柰」の「異体字字典」を検索すると、説文の「木部」として「柰」が載っている。

スクリーンショット 2016-06-24 15.38.51.png

「字形演變」では甲骨文まで表示される。
《說文》「柰、果也。从木、示聲」と説明がある。
「柰」は果実の形ということか。
以上をまとめると、説文によれば「祟」と「柰」はまったくの別字ということははっきりしているが、「奈」が「祟」の異体字なのか、「柰」の異体字なのかで説が分かれるようだ。
「小學堂」では、「奈」は「祟」の異体字で、「柰」は別字扱いしている。

スクリーンショット 2016-06-24 15.39.40.png

康煕字典』で「奈」を引くと「奈同柰詳木部柰字註」と説明がある。「奈は柰と同じ、詳しくは木部の柰字を註す」ということなので、今度は「柰」を引いてみると、長文の中に「俗作奈」とある。『康煕字典』では「奈」は「柰」の俗字であり、異体字という説をとっている。

さて、篆刻では「奈」、「柰」、「祟」のどれを刻んだらよいのだろうか? 

なお、篆刻では説文にその字がない場合は、側款(印の側面)にその旨を刻すのが通例になっている。「奈」が説文にない場合は、「説文無奈」または「奈説文所無」と刻す。それに続けて「奈」の字体を刻す場合は、「本當作奈」または「篆當作奈」と刻す。さらに「奈」の現在の字体を篆書風にして刻す場合は「奈从新體」とする。「从」は「従」だ。新体としてではなく「包山楚簡」に「奈」があったのを根拠に「奈」を刻す場合は、「包山楚簡有之 今从之」とする。

「柰」を刻す場合は、「説文無奈 本當作柰」とでもして、根拠を示す場合は続けて「今从康煕字典説」とでもするか。

「祟」を使う場合は、「説文無奈 本當作祟 今从小學堂説」とするか。
本来は字書の名前やサイトの名前より、その説を唱えている学者名を入れた方がよいのだが、仕方ない。

 
posted by トナン at 16:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月20日

手動でベタ組みの調整をしてみる

手動でベタ組みの調整をしてみます。
金属活字の組版で、どのように調整していたかを追体験してみようという試みです。
なぜこんなことをするのかというと、アプリケーションの設定に役立つと考えたからです。

おかしなところがあったらご教示ください。

ではやってみましょう。
文字サイズは24級です。
24級で本文を組むことはまずないとおもいますが、小さいとわかりにくいので大きくしました。
それと24は8で割り切れるので都合がよいのです。
金属活字の組版の追体験といいながら、写真植字の単位の級というのもおかしいですが、ご勘弁。

1行の字数は28字にしました。
日本語の組版、特にベタ組みでもっとも大切なことは、行長を文字サイズの整数倍にすることです。
28字詰めの行長は、24級×28字=672歯=168mmです。
行間は二分八分です。
二分八分というのは活字のサイズの、2分の1と8分の1を足した幅です。
通分すると、8分の5です。
24級の8分の5ですから、行間は15歯、パーセント計算だと62.5%です。
行送りは、24+15で39歯になります。

級というのは文字サイズの単位の1つで、1級は1辺が4分の1mmのサイズです。
Qと書くこともあります、というか4分の1なのでQuarterのQをとったという話も聞きます。
ですから24級は、6mm四方のサイズということになります。
歯というのは、4分の1mmの距離や幅のことです。
写真植字機の歯車の歯が1つ動くと4分の1mm動いたそうです。

アプリケーションは、何でもよいのですが、InDesign cs6を使いました。
ccも入れてあるのですが、パソコンが古いので動きが重たいのです。

基本のベタ組み

kinsoku.png

【段落パレット】で、〈左揃え〉〈禁則を使用しない〉〈行末約物半角〉にします。

jikan-beta.png

【文字パレット】で、字間を〈ベタ〉にします。

スクリーンショット 2016-05-24 3.41.41.png

まったくのベタ組みです。
ここに必要なアキを手動で挿入していきます。

必要なアキを入れたベタ組み

スクリーンショット 2016-05-24 3.41.55.png

1行目にアキを入れました。
始め括弧の前、終わり括弧の後、読点の後に半角(二分)のアキを入れました。
「半角(二分)」というのは活字サイズの半分の幅のことです。
ついでに説明しますと、「四分」は4分の1の幅、「八分」は8分の1の幅です。
金属活字の本文用の活字に八分の込め物があったのかどうかは、確認していません。
「、」と「「」が続いたときは半角(二分)のアキを2つ(つまり全角)入れるとアキすぎるので、半角(二分)アキにします。

段落の最初に字下げをすることを、小学校で教わったと思いますが、字下げは新しい段落がはじまった印です。
字下げをしない組版もあります。
また、最初の段落は字下げをせず、2回目以降の段落のみ字下げをすることもあります。
字下げは新しい段落がはじまった印ですから、最初の段落は字下げをしなくてもよいという考え方です。

段落の先頭を字下げをすることに決めたとして、段落先頭が括弧だった場合は次の3種類の組み方があります。

スクリーンショット 2016-05-24 3.42.06.png

1つめは、半角(2分)下げて字下げと括弧で全角分とします。この場合は、折り返し行頭(段落先頭でない行頭)は半角の括弧を行頭に揃えます。
2つめは、全角下げる組み方です。
3つめは、全角半下げる組み方です。この場合は、折り返し行頭は半角下げにします。あくまでも字下げと括弧を足して全角の整数倍にするのです。

スクリーンショット 2016-05-24 3.42.21.png

2行目にアキを入れました。
「Alphabet」と「が」の間は四分アキにしました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.42.34.png

3行目にアキを入れました。
「DTP」と「組」の間のアキは八分にしました。
「DTP組版」が1つの熟語だから、アキは狭くします。

スクリーンショット 2016-05-24 3.42.44.png

4行目にアキを入れました。
「=」の前後にはアキを入れずベタにしました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.42.59.png

5行目にアキを入れました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.43.12.png

6行目にアキを入れました。
「・」の前後には四分のアキを入れます。

スクリーンショット 2016-05-24 3.43.22.png>

7行目にアキを入れました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.43.46.png

必要なアキを入れたベタ組みです。
行末が揃っていない行があります。
また、行頭に「、」がある行があります。
これを調整していきます。

行の調整には大きく分けて「延ばし処理」と「詰め処理」があります。

延ばし処理

2016-05-19 23.51.57.png

2行目に八分のアキを仮名の左右にだけ6箇所に入れました。
漢字と漢字の間にアキを入れると目立つので入れません。
漢字と漢字はもともとがくっついて見えるので、アキを入れると目立つのです。
仮名はもともと空いて見えるので、さらに空けても目立ちにくいのです。
読点の後にはすでに充分なアキがあるので、延ばし処理には使いません。
Alphabetにも延ばし処理はしません。
DTP組版では行全体に少しずつアキを入れることができますが、漢字と漢字、句読点の後、括弧類の前後、Alphabetには延ばし処理をしないように設定します。

1行目はうまく収まっているので、処理しません。
とはいうものの、行末の読点が半角になっていますので、もし、行末の約物を全角に統一するルールならば、調整しなければなりません。

スクリーンショット 2016-05-24 3.44.13.png

3行目に八分のアキを仮名の左右にだけ6箇所に入れました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.44.37.png

4行目は八分アキを4箇所に入れました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.44.47.png

5行目は収まっているのですが、6行目の行頭に読点があるので、5行目の行末の「は」を6行目に追い出すために、八分アキを8箇所に入れます。
もし、句読点のぶら下がり有りの組版だったら、読点は5行目にぶら下がっているので、この作業は必要ありません。
「ぶら下がり」というのは、版面の行の末尾で句読点をほかの文字よりもはみ出させる組みかたをいいます。

スクリーンショット 2016-05-24 3.45.00.png

6行目と7行目はうまく収まるので、これで延ばし処理の完成です。

詰め処理

スクリーンショット 2016-05-24 3.45.15.png

必要なアキを入れたベタ組みです。
行末が揃っていない行があります。
また、行頭に「、」がある行があります。
これを詰め処理で調整していきます。

スクリーンショット 2016-05-24 3.45.28.png

2行目の詰め処理。
青い色をつけたところ2箇所が、詰め処理をしたところです。
読点の後ろが二分アキだったところを八分詰めて、8分の3アキにしています。

スクリーンショット 2016-05-24 3.45.39.png

3行目も、読点の後ろ2箇所、二分アキだったところを八分詰めて、8分の3アキにしています。

スクリーンショット 2016-05-24 3.45.57.png

4行目は収まっています。
5行目の行頭の半角のアキを取り、6行目の行頭の「め」を追い込みます。

詰め処理の破綻

スクリーンショット 2016-05-24 3.46.07.png

7行目の行頭禁則を回避するため、6行目の詰め処理をしますが、禁則を回避することができませんでした。

詰め処理の破綻➡延ばし処理に変更

スクリーンショット 2016-05-24 3.46.22.png

詰め処理を諦め、6行目を詰め処理して行末の「(」を追い出します。
八分のアキを8箇所に入れました。

スクリーンショット 2016-05-24 3.46.34.png

詰め処理だけでは調整できず、延ばし処理を行ったので、「詰め優先処理」の完成ということになります。
posted by トナン at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする