2011年04月23日

いよいよ来週から


大熊肇の組版道場

まずは「円谷幸吉の遺書」と「野口英世の母の手紙」を、それぞれ手書きの影印と活字で組んだ物を見比べて印象の違いを感じてみようとおもいます。

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2011年04月07日

「俺」という字の使用例を求む


「俺」という字は使用例がほとんで発見できません。
使用例がないから新しい字なのかというと、そうではなく西暦100年に編まれたという『説文解字』にも載っている字で,
音読みは「エン」です。

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「青空文庫」の『坊っちやん』(ちくま日本文学全集 1992年)には最後の山嵐とわかれるシーンで「俺」が2度使われているのですが、『直筆で読む「坊っちやん」』(集英社新書ビジュアル版)で確認したところ、手書き原稿では「おれ(連)」となっています。初出の「ホトトギス」(1906年4月)でも「おれ」となっているようです。
辞書になら載っているかと『言海』(1889年・明治22年初版)を調べたのですが「おれ」という項目がありません。
ツイッターでつぶやいたら@p_typoさんが「小原夢外『破れ恋 家庭小説』東京:大学館,明40.7 http://bit.ly/efLclD “俺が悪かった”を見付けました.」と教えてくれました。

そんな話を夕食のときにしていたら、父を不憫に思ったのか娘が国会図書館の「近代デジタルライブラリ」で調べてくれました。
「近代デジタルライブラリ」はテキストの検索はできませんが、見出しの検索はできるのですね。
娘に教わりました。

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「俺」を1人称で「おれ」として使っている例では、尾崎紅葉『金色夜叉』(1898年・明治31年)の第一巻6章76頁がもっとも古いようです。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886443

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もっと古い使用例では『絵本佐野報義録』(1887年・明治20年)第五編54頁にありますが、「俺子」で「わがこ」と振り仮名があります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877895

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さらに古い例では『薬性論(敏氏)』第四冊四(1875年・明治8年)に「満俺」を(鉱物の)「マンガン」と読ませています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/837693/18

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もっと古いのがありました。『理礼氏薬物学 17巻』[第5冊]巻之5(1871年・明治4年)にも「満俺」があります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/994910/37

「俺」のもっと古い使用例や、初めて載った国語辞典、歴史が古い字でありながら使われなかった理由などをご存じの方は教えて下さい。
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2011年03月07日

ベントン彫刻機についての覚え書き


リン・ベントン(Linn Boyd Benton、1844年 - 1932 年)が考案し、1884(明治17)年(1885年とする資料もある)に特許を取得。米国ATF社(American Type Founders Inc.)が社内用に使用。
註:ベントン彫刻機の特許を1885年とする資料
http://www.typeproject.com/type_archive/chronology.html
註:ベントン彫刻機を1884年に考案とする資料
http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=7745
註:ベントン彫刻機を1885年に考案とする資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E6%AF%8D%E5%9E%8B%E5%BD%AB%E5%88%BB%E6%A9%9F
http://www.eng.chiba-u.ac.jp/outLstMuseum.tsv?uk1=%E5%8D%B0%E5%88%B7#162
http://newspark.jp/newspark/data/pdf_siryou/c_43.pdf

1995年以前は、アメリカでの特許期間は特許の成立から17年*だったから、ベントン彫刻機の特許取得が1884年だったとすると特許が切れるのは1901年、1885年だったとすると特許が切れるのは1902年。
註:1995年にアメリカは特許制度を改正し、有効期間を出願日から20年とした。
註:特許の成立から17年(サブマリン特許)
http://e-words.jp/w/E382B5E38396E3839EE383AAE383B3E789B9E8A8B1.html

1912(明治45)年に大蔵省印刷局が研究用として1台導入。
1922(大正11)年に東京築地活版製造所と三省堂が1台ずつ導入。〈http://newspark.jp/newspark/data/pdf_siryou/c_43.pdf〉〈http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=147〉〈http://www.robundo.com/adana-press-club/column/news_feature/feature_p05.html
1938(昭和13)年,東京築地活版製造所が倒産。
東京築地活版製造所が所有するベントン彫刻機がオークションにかけられ,凸版印刷の所有となった。現在,印刷博物館にある。このベントン彫刻機が「不二越製機」製のベントン彫刻機の元になったといわれている(未確認)。
1949(昭和24)年(1948年とする資料もある)に津上製作所が大日本印刷と三省堂の協力の基に、三省堂が所有していたベントン彫刻機を模倣した国産の母型彫刻機を製造し、1号機が大日本印刷に導入され、技術指導は三省堂から受けた。
http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=7745
今井直一著『書物と活字』(印刷学会出版部 1949年)はベントン彫刻機の使用解説書としての意味があった。

註:ベントンの国産化の年を1948年とする資料
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E6%AF%8D%E5%9E%8B%E5%BD%AB%E5%88%BB%E6%A9%9F
http://www.eng.chiba-u.ac.jp/outLstMuseum.tsv?uk1=%E5%8D%B0%E5%88%B7#162
註:ベントンの国産化の年を1949年とする資料
http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=7745
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2011年02月22日

『秋山徳蔵メニュー・コレクション』に見える弘道軒清朝体


弘道軒清朝体は儀典用として戦後まで使われていた、という説があることを知り、弘道軒清朝ファンのボクは「それはスゴイ!」と勇んで調べました。
『秋山徳蔵メニュー・コレクション』は「天皇の料理番」といわれた秋山徳蔵の午餐会・晩餐会のメニュー・コレクションを集めた本です。
嘉瑞工房の高岡重蔵先生に見せていただいて、ボクも古書を手に入れました。
この本の中で日本語のメニューが現れる75点のうち、弘道軒清朝体が使われたのは(他の楷書が混ざった?ものも含めて)たった2回だけでした。残念。

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01)明治08年05月18日 晩餐 明朝体 左から右への横組み 菊の紋あり ▲写真
 ※明治8年 弘道軒清朝体発表

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02)明治11年01月25日 午餐 明朝体 縦組み 菊の紋あり ▲写真
03)明治17年03月04日 午餐 明朝体 右から左への横組み
04)明治18年07月10日 午餐 明朝体 右から左への横組み
05)明治20年03月21日 晩餐 明朝体 右から左への横組み
06)明治21年11月03日 晩餐 明朝体 右から左への横組み 菊の紋あり
07)明治22年01月31日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み

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08)明治22年02月11日 晩餐 弘道軒清朝 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり ▲写真
09)明治22年11月14日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
10)明治23年09月25日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
11)明治23年11月15日 晩餐 明朝体 縦組み

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12)明治24年11月16日 晩餐 弘道軒清朝に他の楷書も混じっている? 右から左への横組み ▲写真

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13)明治25年07月04日 晩餐 楷書(弘道軒清朝でない) 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み ▲写真

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14)明治25年07月09日 晩餐 楷書(弘道軒清朝でない) 縦組み 日付は右から左への横組み ▲写真

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15)明治27年03月09日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり ▲写真
16)明治29年06月10日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
17)明治29年06月16日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
18)明治31年10月07日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
19)明治34年07月06日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
20)明治35年04月04日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
21)明治35年05月16日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
22)明治41年07月27日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
23)明治42年07月02日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
24)明治42年08月17日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
25)明治42年09月21日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
26)明治43年03月29日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
27)明治43年10月25日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
28)明治44年04月10日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
29)明治44年10月28日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
30)大正02年09月26日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
31)大正03年12月09日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
 ※大正03年12月09日 秋山徳蔵はじめて皇室の料理を作る
32)大正04年01月28日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
33)大正04年01月30日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
 ※大正04年11月07日 大正天皇御大典(オリジナルのメニューが残っていない)
34)大正05年06月05日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
35)大正06年03月17日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
36)大正08年01月09日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
37)大正11年06月26日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
38)昭和02年02月19日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
39)昭和03年06月11日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
40)昭和03年07月12日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
41)昭和03年12月06日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
42)昭和04年10月25日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
43)昭和04年11月26日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
44)昭和04年12月06日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
45)昭和05年03月06日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
46)昭和05年06月20日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
47)昭和05年10月10日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
 ※昭和05(1930)年頃、猪塚良太郎の「三友舎社交印刷店」が皇室のメニューの印刷をはじめる。
48)昭和06年03月13日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
49)昭和06年05月04日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
50)昭和06年12月22日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
51)昭和07年03月07日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
52)昭和08年10月07日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
53)昭和09年02月23日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
54)昭和09年03月06日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
55)昭和09年03月16日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
56)昭和09年03月26日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
57)昭和09年04月05日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
58)昭和09年04月29日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
59)昭和10年04月06日 晩餐 行書の筆意がある楷書 背景に絵入り
60)昭和10年04月14日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
61)昭和10年04月29日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
62)昭和16年06月18日 午餐 楷書(手書きを版下に用いたか) 背景に絵入り
63)昭和16年10月21日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
64)昭和17年01月12日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
65)昭和17年03月17日 午餐 楷書(手書きを版下に用いたか) 背景に絵入り
66)昭和17年04日27日 午餐 楷書(手書きを版下に用いたか) 背景に絵入り
67)昭和17年06月01日 午餐 楷書(手書きを版下に用いたか) 背景に絵入り
68)昭和18年10月05日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
69)昭和18年11月04日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
70)昭和18年12月27日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
71)昭和19年11月16日 午餐 楷書(手書きを版下に用いたか) 背景に絵入り
72)昭和20年10月16日 午餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 菊の紋あり
 ※昭和23(1948)年春、岩田母型製造所が、弘道軒清朝体の鋼材父型と銅母型を神崎家の当主神崎正助(清朝体の創始者神崎正誼の孫)より譲り受ける。
73)昭和30年02月11日 晩餐 明朝体 縦組み 日付とタイトルは右から左への横組み 背景に絵入り
74)昭和30年11月30日 昼食 明朝体 縦組み 菊の紋あり
75)昭和34年04月15日    明朝体 縦組み 菊の紋あり
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2011年02月18日

高岡重蔵さんに聞く−−猪塚良太郎さんのこと


期 日:2011年2月16日
場 所:嘉瑞工房
参加者:高岡重蔵さん、高岡昌生さん、小池和夫さん、上田宙さん、立野竜一さん、大熊肇

1900年(明治33年)、猪塚良太郎生まれる(1901年・明治34年生まれとも)。
猪塚良太郎が経営していた「三友舎社交印刷店」(以後「三友舎」と表記)の前身は「一志舎」という印刷所で、明治時代に創業。弘道軒清朝のオリジナルも所有していたとおもわれる。
「一志舎」の経営者が猪塚良太郎の父から印刷所を担保に借金をし、返済できなかったため「一志舎」は猪塚良太郎の父の所有となり、店名を「三友舎」と改める。
皇室の午餐会、晩餐会のメニューは当初は楷書体で印刷されていたが、『秋山徳蔵メニュー・コレクション』を見る限り、明治27年(1894年)から明朝体に変更され、それ以後は楷書体で印刷されたことはない。理由は字体に問題があったからだという。

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明治25年のメニュー。楷書体(弘道軒清朝ではない)で印刷されている。(『秋山徳蔵メニュー・コレクション』より)

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明治27年のメニュー。明朝体で印刷されている。(『秋山徳蔵メニュー・コレクション』より)

1930年(昭和5年)頃、「三友舎」が皇室の午餐会、晩餐会のメニューの印刷をはじめる。その後、皇室の午餐会、晩餐会のメニューは「三友舎」のほぼ独占状態 になったという。「三友舎」の特色は戦前、アメリカから購入した欧文活字の美しさにある。和文は明朝体を基本とした。招待状やメニューの印刷は急を要するので、招待状、メニュー台紙は「三友舎」でストックしておく必要があった。ストックがなくなりそうになるたびに、宮内庁から「菊 の御紋」の金版を借り、千部、一万部単位で金箔押ししてストックしておいた。猪塚良太郎は「金箔押しした台紙のストックが負担だ」ともらしていたという。
1940年(昭和15年)、「欧文印刷研究会」結成。当時40歳だった猪塚良太郎が20歳だった高岡重蔵を誘った。その後、猪塚良太郎と高岡重蔵はお互いの仕事場を訪ねあい、四方山話を重ねた。猪塚良太郎は気さくな人だったという。
※欧文印刷研究会……馬渡務(印刷雑誌社)、本間一郎(印刷出版研究所)、木村房次(二葉商会)、猪塚良太郎(三友社印刷所)の四名を発起人として、井上 嘉瑞(嘉瑞工房)、高岡重蔵、伊東政次郎(一色活版所)、今井直一(三省堂)、志茂太郎(アオイ書房)、藤塚崖花(三徳堂)、祐乗坊宣明(朝日新聞社)、 渡辺宗七(民友社活字 鋳造所)、原弘(東京府立工芸学校教諭/デザイナー)の13名が創設に参加。(大日本スクリーンのサイトの「描き文字考」http://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography2/hk01/hk01_jyo3.htm

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昭和2年のメニュー。「三友舎」が参入する前とおもわれる。(『秋山徳蔵メニュー・コレクション』より)

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昭和5年のメニュー。「三友舎」が印刷したものとおもわれる。(『秋山徳蔵メニュー・コレクション』より)

戦前、「三友舎」が印刷したメニューを見本として配り、その中に皇室の午餐会、晩餐会のメニュー内容が混じっていたために、宮内省大膳職主厨長(通 称:「天皇の料理番」)・秋山徳蔵の逆鱗にふれ、その後、秋山徳蔵が引退するまで、「三友舎」は皇室の仕事ができなったといわれている。
1945年(昭和20年)、空襲により「三友舎」が焼失、印刷所の家屋、印刷機、活字のすべてを失う。
終戦後、「三友舎」の跡地に平屋のバラックを建て、印刷業を再開する。これ以後、仕事はほとんど子息・猪塚栄一にまかせ、猪塚良太郎は隠居同然だったという。「三友舎」の場所は現在の虎ノ門駅の北側。
遅くとも1955年(昭和30年)ごろまでに「三友舎」の虎ノ門の店舗を売り払い、現在の神谷町駅の東側のオランダ大使館の近くに移転する。店舗は木造の 2階建て、1階が印刷所で2階が住まいになっていた。印刷機はメニュー印刷用に、動力付きの小型フート印刷機(手きん)が1台、ハイデルベルグのプラテン 印刷機が1台、座席表の印刷用に円圧式印刷機が1台。大量の活字は必要ないのでスダレだけで収納できた。大きな印刷物は刷らないので和文用の小さな植字台 しかなかった。
猪塚良太郎は浅草の「最尊寺」に眠っている。

〈関連サイト〉片塩氏の「論文」は「幻想小説」だった!http://d.hatena.ne.jp/koikekaisho/20110217/1297930967
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2011年02月16日

「嵯峨本・伊勢物語」やや不自然な運筆


「嵯峨本・伊勢物語」を筆で臨書しているのですが、ちょっと運筆が不自然な字があって気になったのでメモしておきます。

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変体仮名の「ま(満)」なのですが、版下は右のような感じだったのではないでしょうか。
指でなぞってみましょう。
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2011年01月31日

太宰治の拡張新字体「呕(嘔)」


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太宰治は通用体を書かない世代かとおもっていたのですが、こんな字も書いてます。
『直筆で読む「人間失格』集英社新書ビジュアル版より
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2010年12月10日

美華書館角寸法が一致しないんですけど……

『教会新報』第16号(1868年12月19日発行)の美華書館の広告の活字サイズについて、小宮山博史『日本語活字ものがたり』誠文堂新光社、029ページと、2010.12.4の小宮山先生のセミナーで配られた資料の数字が2箇所一致しません。なぜ?。

(どちらも印刷物測定値)
2010.12.4セミナー・レジュメ / 『日本語活字ものがたり』2009
Double Pica (24pt) 8.56mm / 8.65mm 1号
Double Small Pica (22pt) 7.61mm / 同 2号
Two-line Brevier (16pt) 5.60mm / 同 3号
Three-line Diamond (13.5pt) 4.85mm / 同 4号
Small Pica (11pt) 3.72mm / 同 5号
Ruby? (5.5pt) 1.87mm / Brevier (8pt) 2.80mm 6号
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2010年11月12日

矢島峰月書作展 字画喪失のプロセスと筆蝕の体感


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2004hogetsu.pdf

矢島峰月書作展 字画喪失のプロセスと筆蝕の体感

東京鳩居堂4階画廊
東京都中央区銀座5丁目7番4号
(地下鉄「銀座」駅下車、A2出口を出てすぐ)
Tel: 03-3574-00582010年11月23日(火)−28日(日)
午前11:00−午後7:00(最終日は午後5:00まで)

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(C) Hogetsu Yajima

「賭博」
芥川龍之介のことば

偶然すなわち神
と鬪うものは
神秘的威厳
に満ちている賭
博者もまたこの
例にもれない
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伊勢物語(嵯峨本)より「うゐかうふり」


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アンカーの出し方を変えてみました。

0003uwikaufuri.pdf
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伊勢物語(嵯峨本)より「むかし」

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3文字だけトレースしてみました。

0001mukashi.pdf
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2010年11月10日

「竝」と「並」どちらが正字?

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干禄字書では「竝」を〈正〉、「並」を〈通〉としています。

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開成石経には「並」が使われています。

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康煕字典には「立」の5画に「竝」が「一」の7画に「並」が載っていて、「隷作並」とありますから、「隷書では並の字体を使う」という意味でしょう。

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文部省活字には「並」しかありません。

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太宰治『人間失格』の原稿の字体も「並」です。

「竝」と「並」どちらが正字なんでしょうねえ?
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「口」は「点々」になる

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「口」を草書で書くと「点々」になります。

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応用編です。
これは江守賢治先生も御著書に書いておられますが、「數」の扁の「口」を「点々」にすると「数」になります。
「殳」が「攵」になる話はまたの機会に。

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江戸時代になると「囗(くにがまえ)」を「点々」で書くようになります。
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「來」はどのように「来」になったか

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左ハライから右ハライにつながるものは、早書きすると横線になります。
「大」の「人」の部分は「L」のようになったり「亠(なべぶた)」のような形になったりします。
上の例でいうと「大」が「土」のようになります。
「因」の中の「大」が
「大」→「土」→「工」→「コ」
と変化して「因」の異体字ができたのではないかという推測は拙著に書きました。

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「來」の「人」は「亠(なべぶた)」のような形になり、それがつながって「来」になったのでしょう。
上の史晨後碑の建碑は169年、禮器碑の建碑は156年ですから、同時期に「來」と「来」が使われていたことになります。

「人」が「亠(なべぶた)」のような形になる例にはもっと劇的なものもあります。

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このように「はつがしら」が「業」の上部みたいになります。

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赤で表したものが「亠(なべぶた)」みたいになったんですね。
※これは字体の説明です。道因法師碑が鄭羲下碑になったのではありません。

「殳(ほこづくり)」が「攵(のぶん)」になるのはまた別の機会に。
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2010年11月09日

正字よりも複雑な異体字

干禄字書には見慣れない異体字があります。

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たとえばこういうものです。
左と真ん中は〈俗〉なのに右の字はなぜか〈通〉とされています。

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正字はこれです。
これがなぜしんにょうみたいになっちゃうのでしょう。

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ちなみに上の字種の草書はこうなります。

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しんにょうのある字の草書を3つあげてみました。
草書ではしんにょうは「L」の形になるのです。
上の異体字は「匚=はこがまえ」や「匸=かくしがまえ」の「L」の部分を草書のしんにょうとまちがえてできた字だと考えられます。
つまり「匚=はこがまえ」や「匸=かくしがまえ」が「一+しんにょう」になってしまうのです。

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これは「匠」の異体字の実例です。
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干禄字書の文字の抜け

福井大学が所蔵する干禄字書はWEB上に公開されていて便利なので、見ることがおおいのですが、このページの「介」の〈通〉がちょっと小さいのに気がつきました。

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おかしいと思って、早稲田大学の蔵書の方(杉本つとむ編『異体字研究資料集成 別巻一』雄山閣)を見てみました。

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空白でした。福井大学の蔵書の方は、誰かの書き込みがあるのですね。
WEBにある画像は2値なので、印刷と手書きの書き込みの違いがわかりずらいので気をつけないといけません。

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紹興年間石刻本の方も空白です。
どうして空白になったのでしょう?
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2010年11月08日

干禄字書に間違い?

干禄字書(杉本つとむ編『異体字研究資料集成 別巻一』雄山閣)を眺めていたんですが、なんかおかしい。

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これ、上の字が俗字で下の字が正字っていう意味なんだけど、どこが違うんでしょう?
同じですよね。

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紹興年間の石刻本の方も捜してみました。
なんだ上の字は「にすい」だったのですね。
俗字を正字に間違えちゃったんですね。
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「鬱」の字体について

「鬱」が新常用漢字に入るそうです。
この字、読むには読めるのですが、どう書いたら良いのでしょう。
9種類の千字文から「鬱」を抽出してみました。

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※一番上の左の図版に誤字発見
誤 随
正 隋
(元さんのご指摘によります。2010/11/25)

「鬱」はこんな風に書かれてきました。
井上千圃は文部省活字の版下を書いた人なのですが、活字と同じ字体は書いていませんね。
※文部省活字には「鬱」がありません。

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蘇軾は「鬱」の「※」の部分に「米」を書いているという情報が届いたので、蘇軾の「鬱」を集めてみました。
「赤壁賦」の「鬱」が「米」なのかな?
拡大しましたが、「※」にも見えるし「米」にも見えますね。
posted by トナン at 23:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 文字あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする